先日も知人が「ブログ、読んでいますよ。お孫さんの話とお友だちの恋愛の話が一番おもしろいですね」と言う。ありがたいことだが、少々ガッカリもした。政治や社会のことで、私が発言していることはそんなに面白く無いのか、私自身のことやその思いはそれほど共感を呼ぶようなことでは無いのか。それならば仕方がない。読み手に迎合して、友だちの恋愛をもう少し論じてみようかと思った。
友だちは12年間、女性とプラトニックに付き合ってきた。二人は「友だち以上、恋人未満」でいようと決めた。そして12年間、決めたことからはみ出さなかった。この話をほとんどの人が「ありえない。ウソだろう」と言う。男性ばかりでなく、女性も「ありえない」と言う。ありえないようなことではあるが、二人はそのように付き合ってきた。
人は、食べて眠って働いて生きているけれど、何も考えず何も求めずに生きているわけではない。人は何か、満たされるものを求めて生きている。何かはおそらく、人によって千差万別だろう。自分が生きている実感というか充実感というようなものを求めているのではないかと私は思っている。
彼は言う。「周囲に迷惑をかけず、相手にも自分の気持ちを強要せず、しかも自分の気持ちに正直に相手に伝えようとすればするほど、今までの恋愛の概念を越えたステージに、自らを立たせ、今までの常識以外のところで愛情の表現をすることでしか成立し得ない」。「愛情の度合いが深まれば深まるほど、相手に肉体を求めたり、独占したいという気持ちから遠ざかっていく」。「男と女の関係になることは、重要度合いの観点から考えると、トップスリーにも入らない」。「彼女との12年間の思い出がある限り、私はこれからも自分を失わず、正直に生きていけるとさえ確信できる」。
二人が待ち合わせて、せっせと出かけて行ったのは、思い出作りだった。彼は何百枚もの決して公開できない写真を撮り、彼女からのメールの全てを保存し、思い出の行事の一つひとつをブログに書き込んでいる。彼女の長く黒い髪、大人の女のしぐさ、一緒に笑ったり見たり食べたり、ちょっとした思い違いから生まれる小さなケンカも、彼は実に細かく記してきた。
しかし、それらの一つひとつは明らかに「恋愛」ではないのか。「友だち以上、恋人未満」であり続けることが二人の約束であったけれど、彼は渥美半島の恋路が浜に出かけた時のブログの中で、手をつないだことの喜びとともに、この浜を手と手をつないで歩いた二人は永遠に結ばれるという言い伝えをも記していた。手をつなぐ行為は、肉欲的な行為ではないのか。肉の交わりがなければ、プラトニックなのか。二人はなぜ、「互いが心を通わせ続けた」のだろう。
思い出があれば生きていけると彼は言うけれど、彼女も思い出作りが必要だったのだろうか。彼のことはよくわかるけれど、彼女がどんな人か知らない私には、彼女の心の動きが見えない。彼には見えていたのだろうか。
友だちは12年間、女性とプラトニックに付き合ってきた。二人は「友だち以上、恋人未満」でいようと決めた。そして12年間、決めたことからはみ出さなかった。この話をほとんどの人が「ありえない。ウソだろう」と言う。男性ばかりでなく、女性も「ありえない」と言う。ありえないようなことではあるが、二人はそのように付き合ってきた。
人は、食べて眠って働いて生きているけれど、何も考えず何も求めずに生きているわけではない。人は何か、満たされるものを求めて生きている。何かはおそらく、人によって千差万別だろう。自分が生きている実感というか充実感というようなものを求めているのではないかと私は思っている。
彼は言う。「周囲に迷惑をかけず、相手にも自分の気持ちを強要せず、しかも自分の気持ちに正直に相手に伝えようとすればするほど、今までの恋愛の概念を越えたステージに、自らを立たせ、今までの常識以外のところで愛情の表現をすることでしか成立し得ない」。「愛情の度合いが深まれば深まるほど、相手に肉体を求めたり、独占したいという気持ちから遠ざかっていく」。「男と女の関係になることは、重要度合いの観点から考えると、トップスリーにも入らない」。「彼女との12年間の思い出がある限り、私はこれからも自分を失わず、正直に生きていけるとさえ確信できる」。
二人が待ち合わせて、せっせと出かけて行ったのは、思い出作りだった。彼は何百枚もの決して公開できない写真を撮り、彼女からのメールの全てを保存し、思い出の行事の一つひとつをブログに書き込んでいる。彼女の長く黒い髪、大人の女のしぐさ、一緒に笑ったり見たり食べたり、ちょっとした思い違いから生まれる小さなケンカも、彼は実に細かく記してきた。
しかし、それらの一つひとつは明らかに「恋愛」ではないのか。「友だち以上、恋人未満」であり続けることが二人の約束であったけれど、彼は渥美半島の恋路が浜に出かけた時のブログの中で、手をつないだことの喜びとともに、この浜を手と手をつないで歩いた二人は永遠に結ばれるという言い伝えをも記していた。手をつなぐ行為は、肉欲的な行為ではないのか。肉の交わりがなければ、プラトニックなのか。二人はなぜ、「互いが心を通わせ続けた」のだろう。
思い出があれば生きていけると彼は言うけれど、彼女も思い出作りが必要だったのだろうか。彼のことはよくわかるけれど、彼女がどんな人か知らない私には、彼女の心の動きが見えない。彼には見えていたのだろうか。