友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

言葉遣い

2008年04月25日 21時54分10秒 | Weblog
 孫娘を塾に送り届けて、ひとりで食事をする。味気ないが気楽でもある。孫娘は「すっごくいいことを考えた」と言う。「えっ!何?」と聞く。「あのさ、ママの名前と私の名前を残すの!」と答える。孫娘が通う中学校は母親の母校でもある。そしてこの学校の体育大会のプログラムには、それぞれの種目の新記録と出した人の名前が記載されている。孫娘の母親も女子100メートルの記録保持者で、20何年前の彼女の記録は未だに破られていない。孫娘は、「ママの記録を塗り替えるのは私」と言っていたが、「ママと一緒に私の名前を残す」と言うのだ。

 「それで、あなたは100メートル以外に残せる種目があるの?」と聞くと、「女子800メートルに出る」と言う。「だいたい我が家は短距離型なのに、800メートルはとてもきつい種目だよ」と念を押すと、「ウン、パパの血が半分あるから大丈夫!」と自信満々で答える。「練習すれば必ず報われる」と信じてきた彼女らしい言い分だ。今週は体力測定の期間で、一昨日などは階段が上れないほど全身の筋肉痛に襲われながら、「絶対に800メートルで新記録を出す」と自分の身体に鞭打って、運動場を走り、水泳を止めないでいる。

 肉体を使うことにはどこまでも厳しく自分を律するのに、言葉遣いはなかなか改善できない。「宿題はできているの?」とカミさんが尋ねると、ぶっきらぼうに「もうやった」と答える。既に宿題はやってしまっていたのだから、「もうやった」でもいいけれど、もう少し答え方があるんじゃないか。先日も私がパンに「ジャムを塗ってあげようか?」と言うと、「いらん」と答えるから、「そんな言い方はないよ。いらんではなくてせめていらないですか、丁寧に言うなら結構ですだよ」と言うと、ふてくされて「結構です」と言う。

 小学生でもそうだけれど、テレビの影響なのか、女の子でも男言葉で話すのを耳にする。「おまえ」とか「うるせんだよ」とか、平気でつかう。孫娘も同じだ。「そんな言い方をしていると、そのうちに直らなくなるよ」と言えば、「別に、直す必要ないもん」と開き直る。

 そういえば、洗濯機の仕上げ剤の容器に、私は娘が使っていた洗剤を間違って入れてしまったことがあった。するとカミさんは「本当に、余分なことばかりするんだから!」と怒った。よく確かめずに、容器が空だったのでそばに置いてあった洗剤を入れてしまったけれど、悪気があってしたわけではないのだから、もう少し他の言い方をして欲しかった。けれども、その反対の場合もあるから、えらそうなことが言えた立場ではない。言葉はとても難しいし、それだけに大切だと思うけれど、未だに的確に相手に正しく伝える言葉を発しているのか、不安に思う。
コメント
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