友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

すごい男です

2008年04月16日 20時30分21秒 | Weblog
 私の中学高校時代からの友だちは、女友だちと12年もの間付き合ってきた。全くのプラトニックだが、手をつなぐくらいのことはあったようだ。彼のことが話題になると、誰もが「そんなのはウソだ」と言う。男と女が12年もの長い間、キスもしない抱擁もしない、ましてや肉体の交わりもしないままに過ごせるわけがないと言う。私もそう思った。しかし、彼の性格からすれば、確かにありうるし、今では彼が「何もなかった」と言うことに少しの疑いもない。

 彼は言う。「誰も分かっていないんです。男と女の友だちというものが、いわば、男と女のユニセックスの関係が、誰も全然分かっていないんです。多分、ありふれた男と女の皮相しか見ていないと思うのです。その先にある人間と人間の友情を、誰も分かろうとしないんです。」「私が老いてから求める恋は、周囲に迷惑を掛けず、相手にも自分の気持ちを強要せず、しかも自分の気持ちに正直に相手に伝えようとすればするほど、今での恋愛の概念を超えたステージに、自らを立たせ、今までの常識以外のところで愛情表現をすることでしか成立し得ないものだと私はこの頃、つくづく、そう思っている。つまり、私にとって、老いてからの恋は、愛情の度合いが深まれば深まるほど、相手に肉体を求めたり、独占したいという気持ちからどんどん遠ざかっていく。」

 私は彼をすごい男だと尊敬している。こんなに清純な恋ができることをうらやましく思う。かつて、彼のように女性の身体を求めることなく、愛を貫いた人がいたのだろうか。そんな思いがしていた時、岡本太郎の父、岡本一平のことを知り、やはりそういう人もいるのだと納得した。

 岡本一平は「朝日新聞」に、夏目漱石の挿絵を描いて評判になり、学生時代から熱を上げていたかの子と結婚した。挿絵画家ではなく、偉大な芸術家を求めていたかの子は、翌年に早稲田の学生と恋愛関係を持つ。一平はこの学生を自分たちの家に同居させ、かの子との性愛を許す。そしてかの子とは生涯にわたり兄妹のように生きることを誓って夫婦の交わりを絶った。かの子は夫の公認の下に、男を愛していく。医師の新田亀三に一目惚れしたかの子は北海道岩見沢まで追いかけていった話は有名だ。新田は一平に「奥さんをください」と申し込むが、「かの子は僕の生活の支柱だ。いのちだ。奪わないでくれ」と哀願されてしまう。そして一平は、新田を再び同居させ、二人が愛し合うことを認めるのだ。

 私の友だちは、自分の奥さんとのことを「セラピストのように、私の心の奥にしまい込んで、人に知られたくない部分をやさしく解きほぐしてくれた。別の世界が広がっていく感じだった。セラピストと患者のような関係は今なお、継続している」と言う。セラピストの奥さんとユニセックスの女ともだち。彼は性愛よりももっと高いところの男と女であろうとしたのだろう。私はとても彼に及ばない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする