もう2月1日になってしまった。歳をとると1年が早く来るというけれど、どうしてなのだろうと思うくらい早く感じる。楽しいことはいっぱいあったし、面白いと思ったこともいっぱいあったけれど、悲しいことや苦しいことがどんどん無くなっていくのは不思議だ。ところが自分はそうであっても、世間はなかなかそうではない。
たとえば、秋葉原17人殺傷事件の裁判が始まった。本当に惨い残忍な事件だと思う。どうしてこんなことが起きたのか、犯人の加藤智大は裁判の冒頭で、殺傷してしまった被害者とその家族に詫びると共に、事件を明らかにすることで二度と再びこのようなことが起きないようにしたいといったことを述べていた。私は自ら死刑を求めるのだろうと予想していたので、ちょっと意外な気がした。弁護士は被害者及び被害者の家族全員から証言してもらうと言うから、加藤のこの発言は弁護士が言わせたものなのだろうか。
裁判の様子をインターネットで見ると、検察はどういう展開で加藤の犯行や動機を説明していくのだろうかと不思議に思った。被害者の数が多いからと言って、殺傷された人を間違えたりすること事態、間が抜けているように感じた。弁護士だって検事だって、議員もしかりだと思うけれど、論戦をするからにはその筋書きと落とし所がなければならない。このところのいくつかの事件では、検察はどういうストリーを考えているのか、見えないことが多い。
足利事件で犯人とされた菅家さんは再審で無罪を勝ち取ったから良かったが、菅家さんのようなケースは稀なのかもしれない。無罪であるのに、有罪とされても最後まで冤罪を晴らそうと努力できる人は少ないようだ。けれども死刑となればその無念な気持ちは計り知れない。もし、自分がその立場であったならと考えると、権力に立ち向かうことのできた人を本当に立派だと思う。
福島県の佐藤栄佐久前知事の賄賂事件も、今回の小沢一郎事務所の政治資金問題も、どこかでつながっているような気がするけれど、検察が描いているストリーがまだよく見えない。検察がむやみに捜査に踏み切るわけはないと私は思っていたけれど、捜査すれば出てくるだろうと予想を立てて行なうこともあるようだ。それで成果が出なければ、適当なものを獲物にしてしまうこともあるらしい。
足利事件の検事に対し、菅家さんは「謝罪して欲しい」と何度も言ったけれど、謝罪することは無かった。検事としてみれば、謝ることは無理だったのだろうと思う。けれど、マスコミはどうだったのだろう。逮捕が発表され、その警察発表をマスコミはそのまま報じた。それは仕方がないとしても、続いて他の2件の事件にも関与していたと発表された時に、おやっと思う記者はいなかったのだろうか。警察や検察は犯人を早く逮捕したいが、マスコミは事件の真相は本当だろうかと疑うことができる。しかし、マスコミはそうしてこなかったし、今もそうしていないように見える。
殺伐とした社会であるけれど、それを社会のせいとか、生まれた時からの悪とか、そんな風にはどうしても思えない。不合理な社会が人間の社会である。
たとえば、秋葉原17人殺傷事件の裁判が始まった。本当に惨い残忍な事件だと思う。どうしてこんなことが起きたのか、犯人の加藤智大は裁判の冒頭で、殺傷してしまった被害者とその家族に詫びると共に、事件を明らかにすることで二度と再びこのようなことが起きないようにしたいといったことを述べていた。私は自ら死刑を求めるのだろうと予想していたので、ちょっと意外な気がした。弁護士は被害者及び被害者の家族全員から証言してもらうと言うから、加藤のこの発言は弁護士が言わせたものなのだろうか。
裁判の様子をインターネットで見ると、検察はどういう展開で加藤の犯行や動機を説明していくのだろうかと不思議に思った。被害者の数が多いからと言って、殺傷された人を間違えたりすること事態、間が抜けているように感じた。弁護士だって検事だって、議員もしかりだと思うけれど、論戦をするからにはその筋書きと落とし所がなければならない。このところのいくつかの事件では、検察はどういうストリーを考えているのか、見えないことが多い。
足利事件で犯人とされた菅家さんは再審で無罪を勝ち取ったから良かったが、菅家さんのようなケースは稀なのかもしれない。無罪であるのに、有罪とされても最後まで冤罪を晴らそうと努力できる人は少ないようだ。けれども死刑となればその無念な気持ちは計り知れない。もし、自分がその立場であったならと考えると、権力に立ち向かうことのできた人を本当に立派だと思う。
福島県の佐藤栄佐久前知事の賄賂事件も、今回の小沢一郎事務所の政治資金問題も、どこかでつながっているような気がするけれど、検察が描いているストリーがまだよく見えない。検察がむやみに捜査に踏み切るわけはないと私は思っていたけれど、捜査すれば出てくるだろうと予想を立てて行なうこともあるようだ。それで成果が出なければ、適当なものを獲物にしてしまうこともあるらしい。
足利事件の検事に対し、菅家さんは「謝罪して欲しい」と何度も言ったけれど、謝罪することは無かった。検事としてみれば、謝ることは無理だったのだろうと思う。けれど、マスコミはどうだったのだろう。逮捕が発表され、その警察発表をマスコミはそのまま報じた。それは仕方がないとしても、続いて他の2件の事件にも関与していたと発表された時に、おやっと思う記者はいなかったのだろうか。警察や検察は犯人を早く逮捕したいが、マスコミは事件の真相は本当だろうかと疑うことができる。しかし、マスコミはそうしてこなかったし、今もそうしていないように見える。
殺伐とした社会であるけれど、それを社会のせいとか、生まれた時からの悪とか、そんな風にはどうしても思えない。不合理な社会が人間の社会である。