何時だったか、NHKテレビが「世界で農地の争奪戦が始まっている」と特集していた。私は自分のブログを仕上げることに追われて、テレビは見なかったけれど、いつもならテレビを子守唄にしてコックリコックリやっているカミさんが、真剣に見ているのでビックリした。「食糧危機が始まるのね」と言うから、「本当はもう始まっているということじゃーないの。どちらが先かは分からないけれど、飲料水が足りなくなるから、水の争奪戦も予想されているよ」と答える。
軍備を増強して国境を守っているような時代ではなくなるだろう。人口が限りなく増幅すれば、その食料はどこで確保するのか。エネルギーも節約型に切り替えているけれど、地下資源には限りがある。そうなれるからエネルギーの争奪戦である。アメリカのイクラ侵攻は石油の採掘権の確保ためと専門家は指摘しているくらいだ。そして、水だ。海水から真水を取り出す技術の開発が国を挙げて行なわれている。私たちがこの地球に住み続けようとすれば、いろんな問題を地球規模で解決していかなければならない。
もう各国単位で考えるような次元ではないだろう。地球全体の総合的なプラン造りなくしては解決できない。各国がそれぞれのエゴで動いていたのなら、人類は必ず破滅するだろう。人の智恵が先か、破滅が先か、いずれにしても私たちはもうこの世には存在しない。孫の時代か、いや曾孫かそのまた子どもか、30世紀が来る前には結論が出るのだろうか。オリンピックで各国がメダルの数を競い合っているけれど、国を単位とする思考を放棄しない限り地球全体の生存などは考えられないのではないか。
そんな夢想に浸っていると、エホバの証人の女性がやってきた。「どうぞ上がって」と招き入れたけれど、カミさんがいないと知ると「玄関先でいい」と遠慮する。別にいくら女性でもそんなに警戒することはないだろうと思いながら、彼女の話を聞く。未だに戦争は無くならず不況で働く場所もなく、政治は行き詰まっているばかりか悪くなっていると話し、「これからどうなると思いますか?」と言う。「いや、歴史は神が人間を導いている過程なのです。どうなるかは神が決めていることで人は決めることは出来ません。人間は出来ることをやっていくしかないのです」と答える。
「神の国からサタンは追放されたけれど、このどこかには存在していることは分かりますか?」と聞くので、「ええ、人間は残念ながら弱い存在です。誰も悪い人間になろう、悪いことをしてやろうとは思ってはいません。けれども憎んだり、羨んだり、盗んだり、結果としてはいろんな罪を犯しています。だからこそ、キリスト教に限らず人は助けを求めているのです」と答える。『親鸞』を読み終えて、人は皆、罪を恐れ、善人になろうとするのだと思った。「人々が何を求めているかと言えば、それは愛だと思います。神という絶対の愛、あるいは人が人として生きていく上で欠くことのできない愛、愛を人は求めています」と、私の方が宣教師になっていた。
彼女が言うように、いつかこの世の終わる時がくるだろう。別に恐れることはない。生きている者の運命であるのだから。いっきに来るのかひとり一人にゆっくり来るのか、そんなこともたいした違いではないと思う。
軍備を増強して国境を守っているような時代ではなくなるだろう。人口が限りなく増幅すれば、その食料はどこで確保するのか。エネルギーも節約型に切り替えているけれど、地下資源には限りがある。そうなれるからエネルギーの争奪戦である。アメリカのイクラ侵攻は石油の採掘権の確保ためと専門家は指摘しているくらいだ。そして、水だ。海水から真水を取り出す技術の開発が国を挙げて行なわれている。私たちがこの地球に住み続けようとすれば、いろんな問題を地球規模で解決していかなければならない。
もう各国単位で考えるような次元ではないだろう。地球全体の総合的なプラン造りなくしては解決できない。各国がそれぞれのエゴで動いていたのなら、人類は必ず破滅するだろう。人の智恵が先か、破滅が先か、いずれにしても私たちはもうこの世には存在しない。孫の時代か、いや曾孫かそのまた子どもか、30世紀が来る前には結論が出るのだろうか。オリンピックで各国がメダルの数を競い合っているけれど、国を単位とする思考を放棄しない限り地球全体の生存などは考えられないのではないか。
そんな夢想に浸っていると、エホバの証人の女性がやってきた。「どうぞ上がって」と招き入れたけれど、カミさんがいないと知ると「玄関先でいい」と遠慮する。別にいくら女性でもそんなに警戒することはないだろうと思いながら、彼女の話を聞く。未だに戦争は無くならず不況で働く場所もなく、政治は行き詰まっているばかりか悪くなっていると話し、「これからどうなると思いますか?」と言う。「いや、歴史は神が人間を導いている過程なのです。どうなるかは神が決めていることで人は決めることは出来ません。人間は出来ることをやっていくしかないのです」と答える。
「神の国からサタンは追放されたけれど、このどこかには存在していることは分かりますか?」と聞くので、「ええ、人間は残念ながら弱い存在です。誰も悪い人間になろう、悪いことをしてやろうとは思ってはいません。けれども憎んだり、羨んだり、盗んだり、結果としてはいろんな罪を犯しています。だからこそ、キリスト教に限らず人は助けを求めているのです」と答える。『親鸞』を読み終えて、人は皆、罪を恐れ、善人になろうとするのだと思った。「人々が何を求めているかと言えば、それは愛だと思います。神という絶対の愛、あるいは人が人として生きていく上で欠くことのできない愛、愛を人は求めています」と、私の方が宣教師になっていた。
彼女が言うように、いつかこの世の終わる時がくるだろう。別に恐れることはない。生きている者の運命であるのだから。いっきに来るのかひとり一人にゆっくり来るのか、そんなこともたいした違いではないと思う。