名古屋市が面白くなってきた。先日会った弁護士も「よくやっているよ」と、河村市長を評価していた。市長や議員の報酬を半額とする提案や、議員定数を半分にする提案など、矢継ぎ早に議会を追い込んでいる。これに対して自民党市議団も、これまで住民投票は議会を軽視するものだと反対してきたにもかかわらず、独自の住民投票条例を提案してくるなど波乱尽くめである。確かに、議員報酬は1600万円もあるから誰が見ても多すぎる。名古屋市民の平均収入がどれくらいかは分からないけれど、常識的に考えても3倍はあるだろう。それで、議員は何をしているのかと言えば、国会議員と違い、地方議員ならば審議していることに大差はないはずだ。
市議の報酬は人口が多い方が高い。名古屋市のように政令指定都市だというだけで、県会議員と同額だ。県会議員であっても、一体どれほどの審議や活動をしているのだろう。日本では、まず国会議員があり、その下に県会議員があり、さらにその下に地方自治体議員がある構図になっている。人口が大きい県ほど県会議員の報酬が高いが、それは地方議員も同じだ。大きな市ほど市議の報酬は高い。どうしてそうなのかと尋ねたことがあるが、形式的には人口が多いほど活動の範囲が大きいからが理由になっている。実際には、地方議員の活動に大差はないと私は経験からそう思っている。
そもそも、市長の報酬はどのようにして決まるのか。市議の報酬はどう決めているのだろう。以前にこのことを行政に尋ねたことがあるけれど、答えは近隣の実体に合わせているというものであった。ではなぜ合わせなければならないのかと重ねて尋ねると、報酬が低ければ低い自治体と見られるというものであった。見られることがなぜいけないのかと質問すると、優秀な人材が集まらないと答える。人間はそんなにも愚かだろうか。人のために働けるのであれば、多少報酬が低くてもかまわないと思う意気に燃える人は絶対にいると私は思う。
河村市長の言うように、市長も市議も800万円でどこに不都合が生まれるというのだろう。そんな金額を定められては、職員の賃金の方が上になってしまうと昔、自治体の幹部に言われたことがあるが、もしそれを恥ずかしいことだと思うならば職員の賃金も引き下げればいい。部長だ局長だ次長だと、何もしないような幹部が多すぎる。年功序列は賢い賃金体系だと思うけれど、上に行くほど緩やかでよいのではないだろうか。部下と上司が変わらない賃金なら、上司はやる気をなくしてしまうとその時に説得された。そんな上司ならやめてもらってもかまわないのではないか。
人は賃金のためだけで働いてはいないだろう。社会的な評価や名声もやる気の大きな要素だろう。名古屋市の市議の報酬が半額になるから、馬鹿馬鹿しいから立候補しないというような人はやめてもらって結構だ。報酬に関係なく、議員という仕事に意義や生き甲斐を感じる人はいるはずで、そういう情熱のある人にやってもらった方が良い。結局、市長や議員の報酬が低いとやる気の人がいないとか、職員の賃金が低いと優秀な人材が集まらないと言う人は自分がそういう類の人間であるということだ。
明治に活躍した人物は意気に燃えていた。そういう人こそを時代は必要としている。
市議の報酬は人口が多い方が高い。名古屋市のように政令指定都市だというだけで、県会議員と同額だ。県会議員であっても、一体どれほどの審議や活動をしているのだろう。日本では、まず国会議員があり、その下に県会議員があり、さらにその下に地方自治体議員がある構図になっている。人口が大きい県ほど県会議員の報酬が高いが、それは地方議員も同じだ。大きな市ほど市議の報酬は高い。どうしてそうなのかと尋ねたことがあるが、形式的には人口が多いほど活動の範囲が大きいからが理由になっている。実際には、地方議員の活動に大差はないと私は経験からそう思っている。
そもそも、市長の報酬はどのようにして決まるのか。市議の報酬はどう決めているのだろう。以前にこのことを行政に尋ねたことがあるけれど、答えは近隣の実体に合わせているというものであった。ではなぜ合わせなければならないのかと重ねて尋ねると、報酬が低ければ低い自治体と見られるというものであった。見られることがなぜいけないのかと質問すると、優秀な人材が集まらないと答える。人間はそんなにも愚かだろうか。人のために働けるのであれば、多少報酬が低くてもかまわないと思う意気に燃える人は絶対にいると私は思う。
河村市長の言うように、市長も市議も800万円でどこに不都合が生まれるというのだろう。そんな金額を定められては、職員の賃金の方が上になってしまうと昔、自治体の幹部に言われたことがあるが、もしそれを恥ずかしいことだと思うならば職員の賃金も引き下げればいい。部長だ局長だ次長だと、何もしないような幹部が多すぎる。年功序列は賢い賃金体系だと思うけれど、上に行くほど緩やかでよいのではないだろうか。部下と上司が変わらない賃金なら、上司はやる気をなくしてしまうとその時に説得された。そんな上司ならやめてもらってもかまわないのではないか。
人は賃金のためだけで働いてはいないだろう。社会的な評価や名声もやる気の大きな要素だろう。名古屋市の市議の報酬が半額になるから、馬鹿馬鹿しいから立候補しないというような人はやめてもらって結構だ。報酬に関係なく、議員という仕事に意義や生き甲斐を感じる人はいるはずで、そういう情熱のある人にやってもらった方が良い。結局、市長や議員の報酬が低いとやる気の人がいないとか、職員の賃金が低いと優秀な人材が集まらないと言う人は自分がそういう類の人間であるということだ。
明治に活躍した人物は意気に燃えていた。そういう人こそを時代は必要としている。