「団塊の世代はわがままで、上司としては最低」「壊しただけで、何も創らなかった」「体制に反対しながら、結局は体制にどっぷり浸かり、ぬくぬくと体制を支えてきた」。そんな批判が団塊世代の下の世代から上げられた。私は団塊世代の直前だけれど、団塊世代と共に歩んできたように思っていたので、「イヤそうばかりではないと思うよ」と言いたくなる。私も団塊世代も日本が戦争に負けて、新しい時代が始まった時を生きてきた。戦後の民主主義教育を受けて育った最初の世代といえる。
私たちの両親は富国強兵の柱のもと、神国日本の子どもとして育てられた。父親の多くは戦場へ赴き、地獄を体験してきた。戦争に負けたことで、これまでの価値観が一変してしまい、心の支えを無くしてしまった。それでも、よくわからないままに新しい日本の建設に真面目に取り組んできた。私たちの上の世代、思春期に敗戦を迎えた世代は民主主義国家の建設を夢見ていた。いわゆる「60年安保」を牽引した世代だ。彼らは安保闘争に敗北し、大きな挫折感を抱いていた。私が大学生になった時、60年安保を熱く語った先輩たちには、思いとは裏腹に虚しさが漂っていた。
そして団塊世代は、「60年安保」世代を超えようとしていた。確かに下の世代からは「破壊しただけ」とか「結局は体制の担い手になった」との批判を受けることになったけれど、彼らもまた「60年安保」世代と同じ経過をたどることになった。思えばそれが人の歴史なのかもしれない。何時の時代でも、自分の体験から自分の生き方を深く考えていくタイプと、全く違う方向へ向かうタイプがある。団塊世代は社会への反逆を行なってみたものの、社会は一部の者が過激に戦ってもびくともしない。それなら組織に加わってそこから変えていこうとしているうちに、何時しか組織の上の方に位置し、安住してしまった者も、相変わらず組織嫌いを貫き一匹オオカミで生きている者もいる。
団塊世代が生み育てた子どもはすでに30代になっている。無差別殺人のような社会問題を起こしている世代だ。新しい社会の仕組みが新しい問題を作り出し、繰り返しながら社会は、全体として昨日よりは今日、今日よりは明日へと確実に進歩していくのだろう。世代という特徴があらゆることを支配しているわけではないのだろうけれど、共に同じ時間を生きてきたという点で、全く違う生き方をしていながらどこかに共通するところがあるのかもしれない。世代論でものごとを片付けることは無理があるけれど、世代論が闊歩するのもその共通性にあるのだろう。
私は「60年安保」世代と「70年全共闘」世代とに挟まれ、中途半端な世代と長く思ってきた。「60年安保」世代のような思慮もなく、「70年全共闘」世代のような攻撃性もなく、どちらの仲間にも入れないことをもどかしく思ってきた。でも、両方を見ることが出来る。むしろそこに価値を見出せばよいと思うようになった。
私たちの両親は富国強兵の柱のもと、神国日本の子どもとして育てられた。父親の多くは戦場へ赴き、地獄を体験してきた。戦争に負けたことで、これまでの価値観が一変してしまい、心の支えを無くしてしまった。それでも、よくわからないままに新しい日本の建設に真面目に取り組んできた。私たちの上の世代、思春期に敗戦を迎えた世代は民主主義国家の建設を夢見ていた。いわゆる「60年安保」を牽引した世代だ。彼らは安保闘争に敗北し、大きな挫折感を抱いていた。私が大学生になった時、60年安保を熱く語った先輩たちには、思いとは裏腹に虚しさが漂っていた。
そして団塊世代は、「60年安保」世代を超えようとしていた。確かに下の世代からは「破壊しただけ」とか「結局は体制の担い手になった」との批判を受けることになったけれど、彼らもまた「60年安保」世代と同じ経過をたどることになった。思えばそれが人の歴史なのかもしれない。何時の時代でも、自分の体験から自分の生き方を深く考えていくタイプと、全く違う方向へ向かうタイプがある。団塊世代は社会への反逆を行なってみたものの、社会は一部の者が過激に戦ってもびくともしない。それなら組織に加わってそこから変えていこうとしているうちに、何時しか組織の上の方に位置し、安住してしまった者も、相変わらず組織嫌いを貫き一匹オオカミで生きている者もいる。
団塊世代が生み育てた子どもはすでに30代になっている。無差別殺人のような社会問題を起こしている世代だ。新しい社会の仕組みが新しい問題を作り出し、繰り返しながら社会は、全体として昨日よりは今日、今日よりは明日へと確実に進歩していくのだろう。世代という特徴があらゆることを支配しているわけではないのだろうけれど、共に同じ時間を生きてきたという点で、全く違う生き方をしていながらどこかに共通するところがあるのかもしれない。世代論でものごとを片付けることは無理があるけれど、世代論が闊歩するのもその共通性にあるのだろう。
私は「60年安保」世代と「70年全共闘」世代とに挟まれ、中途半端な世代と長く思ってきた。「60年安保」世代のような思慮もなく、「70年全共闘」世代のような攻撃性もなく、どちらの仲間にも入れないことをもどかしく思ってきた。でも、両方を見ることが出来る。むしろそこに価値を見出せばよいと思うようになった。