友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「心から誰かを愛したことがありますか」

2010年02月21日 21時55分03秒 | Weblog
 短歌教室で、「私、昨日、誕生日だったの」と83歳になった婦人がお菓子を分けてくださった。その方が作られた歌は次のようだった。<「心より誰かを愛したことありや」 ドラマの台詞想う晩年>。先生は「ナンだ、ダンナを愛していなかったのか」と冷やかされたけれど、その婦人は「ダンナさんも含めて、本当に私は人を愛してきたのだろうか、この頃そんなことを想うようになりましたの」と説明されていた。異性をというわけではなく、子どもでも孫でもなく、もっと広い意味で、人を愛してきたのだろうか、と考えることがあるというのだ。

 いつも意見をはっきり言われ、どちらか言えば厳しい方という印象が私にはあったので、こういう歌も作られるのかと、ちょっとビックリした。彼女のつくる歌には<身の周り怒ることなく日々穏し テレビに向ひ国会を斬る>という勇ましいものがあるくらい社会への関心が強い方だ。「晩年」などというと何だか寂しいので、「この頃」でもよいのではないかと思うが、こんな風に自分に問い直すことが出来る人は、年老いてきたからではないように思う。

 友だちのブログを見ていたら、「人生で好きになった女性は3人」との告白が書いてあった。彼のブログを読んでいる人なら、その3人が誰なのかよくわかる。高校時代の初恋の人、大学で知り合った人、そして12年以上友だち以上恋人未満の人。アレ?そうなるとカミさんはどうなるの?カミさんはもっと特別な存在で、もっと特別な関係ということなのかもしれない。「カミさんは自分にとってはかけがえのない人」と言っていたから。それでも、ちょっと正直過ぎるというか無神経過ぎるように思った。

 12年以上も付き合っている彼女から「自分勝手で思いやりがない」と指摘されるのは、そういうデリカシーに欠ける点ではないだろうか。彼自身は決して悪気はないのだけれど、「オレはアイツが好きだったんだ」とか、「今でも忘れられない」と聞かされて、よい気持ちになる人はいないだろう。けれども彼は自分のことをよく知って欲しいと思うからこそ、包み隠さず話してしまう。好きになって長く付き合ってくるとこういう甘えが出てくる。甘えてなんかいないと思っているのだろうが、こんなことを言ったら相手はどう思うだろうとまでは考えていないからそんなことが言えてしまうのだ。

 今日、首長選挙に立候補することを宣言した友人がいる。私と一緒に議員活動をしていたけれど、私たちの勢力が大きくなってきて、あとひとりで五分五分という時に、相手側に引き抜かれた人だ。だから私の仲間には憎い裏切り者で絶対許せないと言う人もいるが、私は、私が出来なかったことをやってくれるのだからむしろ有難いと思っている。嫌うよりも好きになった方が気持ちがいいではないかと思う。

 愛して欲しいと思うけれど、自分のことばかり求めれば相手もイヤになるだろう。愛してくれなくてもいい、声をかけてくれなくてもいい、ひたすら待つだけの恋でもいい。そんな人になれたらいいと思う。まだまだ修行の足りない私には無理なことかも知れないが、「心から誰かを愛したことがありますか」と自分に問い聞かせなくてはと思う。
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