2日間の私学の高校入試を終わって孫娘が帰ってくるなり、「ああ、疲れた」と言う。私学が本命でなくても手を抜かないことがあの子のいいところだから、終わってホッとした気分になっているのだろう。入試の季節には、友だちが次々に合格して、進学先が決まってしまうと、何だか自分ひとりが取り残された気分になるものだ。それで、すっかり落ち込んでしまう子もいるかもしれない。
私は大学入試は1校しか受験しなかった。しかも試験日は3月末だったから、友だちがここはダメだったとか、ここに受かったとか、次々に言ってきた。それでも別に焦る気持ちはなかった。入試に失敗したなら、大学は行かずに東京へ行こうと密かに決めていた。教員採用試験の時も合格できたのかできなかったのか、よくわからずにいた。できなければ、ゼロからやり直せばいいと思っていた。別に教師になれなくても、人ひとりくらい生活できるだろうと気楽に考えていた。
それでもどんどん友だちの採用が決まっていった時は、さすがにちょっと焦った。アルバイトで子どもたちに絵を教えていた時だった。よく覚えていないけれど、翌日だったかにどこどこの高校へ行くようにと連絡を受けた。それで、その高校に行った時、恥ずかしくも校長に「それで、私はどこに行くのでしょうか」と聞いてしまった。校長は怪訝な顔をした後、「あなたの勤務校はここです」ときつい口調で言われたことだけはよく覚えている。
教員採用試験の面接で、試験官から「あなたはどこを希望しますか」と聞かれ、「どこにでも行けますから、どこでもいいです」と答えた。実際に、家も家族もなかったから、どこでも良かった。誰も行かない山奥の学校でも全くかまわなかった。そんな気持ちだったから、まさか自分が高校の教師になるとは思ってもいなかった。大学で自治会運動にかかわった者は就職できないということも言われていたし、実際に就職保留になった者もいたから、自分もその類かと思っていたので、高校の教師になれるとは思わなかった。
孫娘には、「人生なんかこれからだよ。受かっても受からなくてもたいしたことではないよ。一番大事なことは、いつでもチャレンジするってこと。別に、イヤならやめればいいし、やってみようと思えば当たればいい。そういうことが出来る社会にしていかなくちゃーね」と言ってみる。先日も、来年定年になるという女性が芸術大学で楽器演奏の基礎から学びたいが、もっと簡単に入学できるようにして欲しい。あなたは大学の学長の知り合いだから、そう働きかけて欲しいと言う。大学には決まりがあるから、それを勝手に変えることは出来ないし、そんなことがまかり通っては不公平というものだ。それでも、高校時代のような勉強は忘れたけれど、学びたいと思っている人々に門戸を広げていく大学はけっこうあるように思う。人は意外にも、学びたい気持ちが何時までもある。
私は大学入試は1校しか受験しなかった。しかも試験日は3月末だったから、友だちがここはダメだったとか、ここに受かったとか、次々に言ってきた。それでも別に焦る気持ちはなかった。入試に失敗したなら、大学は行かずに東京へ行こうと密かに決めていた。教員採用試験の時も合格できたのかできなかったのか、よくわからずにいた。できなければ、ゼロからやり直せばいいと思っていた。別に教師になれなくても、人ひとりくらい生活できるだろうと気楽に考えていた。
それでもどんどん友だちの採用が決まっていった時は、さすがにちょっと焦った。アルバイトで子どもたちに絵を教えていた時だった。よく覚えていないけれど、翌日だったかにどこどこの高校へ行くようにと連絡を受けた。それで、その高校に行った時、恥ずかしくも校長に「それで、私はどこに行くのでしょうか」と聞いてしまった。校長は怪訝な顔をした後、「あなたの勤務校はここです」ときつい口調で言われたことだけはよく覚えている。
教員採用試験の面接で、試験官から「あなたはどこを希望しますか」と聞かれ、「どこにでも行けますから、どこでもいいです」と答えた。実際に、家も家族もなかったから、どこでも良かった。誰も行かない山奥の学校でも全くかまわなかった。そんな気持ちだったから、まさか自分が高校の教師になるとは思ってもいなかった。大学で自治会運動にかかわった者は就職できないということも言われていたし、実際に就職保留になった者もいたから、自分もその類かと思っていたので、高校の教師になれるとは思わなかった。
孫娘には、「人生なんかこれからだよ。受かっても受からなくてもたいしたことではないよ。一番大事なことは、いつでもチャレンジするってこと。別に、イヤならやめればいいし、やってみようと思えば当たればいい。そういうことが出来る社会にしていかなくちゃーね」と言ってみる。先日も、来年定年になるという女性が芸術大学で楽器演奏の基礎から学びたいが、もっと簡単に入学できるようにして欲しい。あなたは大学の学長の知り合いだから、そう働きかけて欲しいと言う。大学には決まりがあるから、それを勝手に変えることは出来ないし、そんなことがまかり通っては不公平というものだ。それでも、高校時代のような勉強は忘れたけれど、学びたいと思っている人々に門戸を広げていく大学はけっこうあるように思う。人は意外にも、学びたい気持ちが何時までもある。