友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もうすぐ選挙が始まる

2010年02月08日 19時13分30秒 | Weblog
 4月に選挙があるために、周りが騒がしくなってきている。先日も選挙用具を扱っている業者から電話がかかってきた。「そばまで来ているので、これから伺います」と言う。選挙用具屋さんに頼まなくても選挙のイロハは知っている。お金をかけなくても出来る選挙をやってきたから、むしろ教えてあげたいくらいだ。だけど、誰でも応援するほどお人よしではないし、それでは自分がやってきたことは何だったのかということになってしまう。

 今日も喫茶店に呼び出され、「どうしてロクな候補者がいないのか」とグチを聞かされた。答えは簡単だ。ロクでもない候補者でも当選できているからだ。実際に、議員に当選しても議員活動は議会に出て手を上げることだと思っている人がいる。せめて議会で何が話され、市政の問題はここにあると報告して欲しいが、市民に愛嬌を振り回し、挙句にコーヒーの一杯でもおごれば「立派な議員さん」と思ってもらえるとしか考えていない。有権者も自分が投票した議員が何をしているのか、知らずにいる。

 日頃は全く音沙汰ないのに、こうして選挙が近づいてくると、中身がないのに顔だけは載っている「ニュース」が配られてくる。確かにもう自民党政権はたくさんだと思い多くの人が民主党へ投票したのだけれど、自民党政権を支えてきた地方の仕組み、国会議員がいてその下に県会議員がいてさらにその下に市町村議員がいることにまでは関心が至っていない。日本の政党の組織はおよそどこでも上意下知となっている。地方議員は国会議員の票を集め、その見返りに国会議員から応援や情報をもらう。

 せっせと地域を回り、要望や苦情を聞き、行政に「やらせる」ことが地方議員の仕事と思っている議員も市民も多い。そこには自治体をどうしていくのか、どういう街づくりを進めることが市民の生活を支え豊かにするかが欠落し、地域エゴが優先になる。地域では腰の低い親切な議員だが、行政にはうるさいゴリ押し議員となる。議会で質問などしなくても平気な議員になっていく。一度も質問に立たない議員だっている。質問する議員の中にも、全く意味のない質問をする人もいるし、質問を行政に書きてもらう人さえもいる。

 そんなロクな議員がいないのであれば、議員定数を減らした方がいいと言う人はいる。それも一理あるかも知れないが、私は議員報酬を減らして議員数は増やした方がいいと考えている。一極集中型になるよりは分散型の方がまとまるのに時間がかかってよいと思っている。ひとりの優秀な政治家よりも大勢の愚者な政治家の方が安心ではないだろうか。もちろん、愚者を賢者に変えていくのは市民の役割である。だから、市民が市政に口出しできるシステムが大事だ。

 名古屋市の河村市長が各種委員会もオープンにすると言うが、そういうことが「市民が市政に参加する」につながっていくと思う。衆知されてこそ市民も考えることが出来るし意見も言える。
コメント
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