名古屋市内には街路樹に桜を植えた通りがいくつかある。山崎川の桜は特に有名だが、天白区には八重桜の通りもあって、今が見頃らしい。日本の桜を観に来る外国人が増えているそうだ。テレビのニュースだったが、「大人しくて自分を出さない日本人が、桜の樹の下で宴会する姿に驚きました」と語る人もいた。梅はなんとなく上品で、ドンチャン騒ぎをする雰囲気ではないが、桜の下では騒ぎたくなるのはどうしてだろう。
咲く時期の違いだろうか。梅は春を告げる花だけれど、桜は春そのもので暖かい。樹の大きさや花の大きさにも影響されるかも知れない。花を愛でながら飲食する例は古く中国にあった。日本の貴族はそれを日本流にアレンジして、歌をやり取りしたのだろう。桜がもてはやされたのは武士の時代になってからで、お花見の習慣は江戸時代、吉宗が奨励したと聞く。庶民の花見が落語に出てくるほどだから、大いに楽しみだっただろう。
控えめで、道徳心に富んでいると外国人に思われていたが、別の面を見て驚いたというわけだ。私も名古屋へ出る度に驚くというか、いい気がしないことがある。「エレベーターでは歩いたり走ったりしないでください」と貼り紙があり、アナウンスもされるが、全く無視して行く人がいる。これは注意の仕方が悪い。「エレベーターはふたりずつお乗りください」と呼びかけた方がいい。
車内では優先席があるので、私は率先して座るようにしている。そうすれば普通の席にひとりでも多くの人が座れるから。ところが優先席に若い人が座ってスマホに夢中になっていることがある。今日などはドア付近に学生たちが留まっていて中に入れない。この頃は学生鞄がない学校が多いためか、大きなスポーツバックを持っている。これを棚の上に置いてくれればいいのに、足元に置くから歩くことも出来ない。
もうちょっと気配りがあってもいいのではと思っていた時、桜を歌った百人一首のことが気になった。平安時代のようにゆったりといかなくても、少しゆっくりしたいと思う。
花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町
久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ 紀 友則
いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔
もろともにあはれとも思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 大僧正行尊