友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

クマンバチの死骸

2015年04月28日 18時25分38秒 | Weblog

 今朝、バラを見回っていたら、クマンバチが1匹落ちていた。クマンバチは見たところ獰猛な感じだが、ミツバチの仲間で花の蜜が好物だ。藤が咲く頃には垂れた房の周りをブンブン飛んでいるのをよく見かける。これまで、クマンバチの死骸を見つけることはなかった。外敵がいるとしたら何だろう。それにしても、地上30メートルの我が家の庭まで、どうして辿り着けるのかと思うほど、バラの花芽や新芽にいろんな虫が集まっている。

 小さいから見過ごしてしまうけれど、ゾウのような形をした虫は花芽の茎を食べてしまうし、まだ1匹しか発見できなかったが、何かの幼虫である青虫は若葉を食べてしまう。バラには虫が付きものだが薬は散布せず、見つけ次第“テデトール”ようにしている。昨日咲いたバラはクリーム色からピンク色へと変化していた。花が咲くのも、虫が付くのも、自然のことなので神経質にならずに楽しんでいる。

 まだボランティアという言葉が珍しかった頃、地域でひとり暮らしの人を助ける活動を巡って議論があり、「長く続けるためには有償の方がいい」という結論だった。昨夜テレビを観ていたら、「長く続くためには無償の方がいい」とボランティア活動の人が言っていた。その方が、「誰でも気楽に出来る」ということだった。人は誰でも、人の役に立ちたいと思っている。けれども時間が取れないとか、この日は都合が悪いとか、したいのに出来ない場合もある。それを出来る時だけでいいとすれば、もっとボランティアに参加する人が増えるというのだ。

 有償ボランティアの場合は、それが仕事になってしまう。確かにお金をもらうわけだから、いい加減なことは出来ない。人のためにと思っていたものが、義務のようになってしまう。受ける方は、お金を払っているから気後れすることはない。無償と言っても、ボランティア活動する人の気持ちが満たされなければ、やはり続かないそうだ。人のためになっているという自己満足が要る。お金をもらう時も、人から褒められる時も、同じホルモンが分泌されるという。

 人はややこしい生き物だ。みんなで助け合わなくてはならないのに、最近ではクラスの住所録はプライベート保護のため作成しない。ひとり暮らしの老人が増えてきているが、こちらもプライベート保護のため公開しない。どう考えることがみんなのためなのか、結論はひとつではないだろうし、急ぐこともないのかも知れない。明日はマンションの総会、ここでも社会と同じものを見ることになる。

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