とうとうチューリップは終ってしまった。カミさんの弟妹や叔母がチューリップを見に来てくれた時も雨降りだった。部屋から花を眺めて話していた時、カミさんの従弟が「人は2度反抗期を迎えますね」と、面白いことを言う。「それはどういうこと?」と聞くと、「子どもの頃、親に反抗しますよね。あれって、素直になれず、頑固ですよね。年寄りも素直になれず、頑固なのは反抗期なのではないですか」。ユニークな子だったが、そういっても50歳になるが、なかなか視点が変わっている。
頑なに自己主張して親に反抗する。そして今、親は頑固に息子に抵抗するようだ。頑なであるということはこだわる何かがあるということ。子どもは子どもなりに、年寄りは年寄りなりに、譲れないものがある訳だから、それを認めた方が良いのかも知れない。そもそも親が「いい子」というのは、親にとって都合のいいということ。成績がいいとか行儀がいいとか、それも親の見栄の部分が大きい。子どもがどうあれば幸せになれるのか、そんなことは実は分からない。だから、まずこうであれば幸せになれるだろうという願いに過ぎない。
頑固な人はそれだけ何かこだわるものを持っている。そういう人は我武者羅に生きるし、生き方も個性的なのかも知れない。名を成す人はそういう人だろう。平凡に生きていくことが悪い訳ではないし、どんなに頑張って生きている人でも傍から見れば平凡な人生なのかも知れない。そう考えると、自分が満足しているかであり、自分が幸せに思っているかが大事なことである。けれど、だからといって、押し付けられたのでは迷惑この上ないだろう。
フェイスブックで「看護の名言」に出会ったが、どれもこれも納得できる。当たり前のことだから心に素直に入ってくる。しかし、実際に行なっているのかとなれば難しい。振り回されず、振り回さず、自分の生き方を大事にするが人の生き方も尊重し、相手を思いやり、相手に求めすぎず、愛して欲しいと願い、人はどこまでも無理難題を追い求めて生きているようだ。やっぱり、それが人というもので、それが自分というもののようだ。