友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

この暑さは「試練」なのだろうか

2018年08月01日 17時51分30秒 | Weblog

 母親と同じ看護師になった孫娘から電話が入り、「画用紙に、『お』と『た』を書いて、その紙を持って写真に撮り、ラインで送って」と言う。長女のダンナの父親の誕生日のサプライズのようだ。長女もイベント好きだが、孫娘もその血を受け継いでいる。みんなで盛大にお祝いして、早く元気になって欲しいと思い、早速、墨汁と紙を用意する。

 そうか、お父さんは1日生まれだったのか。今日は出校日で、子どもたちが運動場に集まって来ていた。午前中だから運動場はまだそんなに暑くないかも知れないが、全員が腰を下ろしていく。担当の先生が熱中症に注意するようにと話すが、話しが長すぎる。立ち上がった時、倒れる子がいなくてよかった。

 炎天下でも我慢すれば暑さに負けない強い身体になると、昔の人は根性こそが大事と本気で考えていたが、今そんなことを主張するのは私たちの世代までだろう。先日、葬儀でお坊さんの説教があった。人が生きることや死ぬことの解釈を話されるのかと思ったら全く違っていた。戒名の意味を話され、大姉は功徳を積んだ人に与えられると。

 功徳とは寺への寄進を指すようで、あまりの実利的な説教にガッカリしてしまった。仏教にしても儒教にしてもキリスト教にしても、既成の古い価値を克服する教えだった。いずれも弟子たちが師の教えをまとめる形で完成していったが、権力に取り入れられていくと儀式化してしまった。仏教は日本で最も哲学的に開花したのに、やはり同じ道を歩んでしまった。

 人は、暑さや寒さに耐える修行を行うだけでは生まれ変わらないと知りながら、新たな別の道を見つけられないでいる。目の前の幸せ、子どもたちが来て誕生日を祝ってくれる、そんな現世のご利益があればいいのかも知れないが…。それにしても、もうすぐ午後6時だというのに暑さが厳しいのは、「試練」なのだろうか。

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