かなり余裕をもって電車に乗ったのに、JRは「踏切の安全確認を行っています。しばらくお待ちください」と繰り返し、クラス会の会場に着いた時はもうみんな席に着いていた。中学のクラス会に出席して、みんなと話していると、ここが自分の原点だと思う。もっと厳密に言うなら、小5の時のストライキから、私は「私の人生」を歩き出した。
私はズーと「いい子」だった。勉強もでき、運動もでき、素直で問題のない子だった。ただ、通知表には必ず「もう少し積極性が欲しい」と書かれた。それが大きく変わったのは、小5の時のストライキだった。私はみんなと一緒に行動していたが、それが当たり前と思っていたからで、自分で考えた訳ではなかった。
クラスの男子の全員が参加したと思っていた。初めから参加しなかった子がいたことは後で知ったが、途中から「教室に帰る」と自分の意思を示した子が何人かいた。その時点で、みんなに「もう帰ろう」と言うことも出来たはずなのに、最後まで行動を共にして捕まり、校長室で立たされた。担任の女性の先生が泣いていた。
この事件の後、私は教室で手を挙げるようになった。6年では児童会長も務めた。自分でもそれから「自分がつくられていった」と思う。中学の3年間はまさに自己形成の時だった。中学時代の私をクラスのみんなはどんな子だと見ていたのか知りたかったが、話は私のことより、それぞれの昔話で盛り上がっていき、聞く機会もなかった。
唯一、高校で文芸部の部長だった友だちから、「お前は小説は書けない。人の心を打つ情緒のある文章が書けないから」と言われた。なるほど、私がブログに載せているものは、その時々に思いつたままの時評であって、心のひだに届くような文章にはなっていない。事実を誇張したり、オブラートで包んだりはするが、物語にはなっていない。フィクションはここでは無理だ。