13日の夕方に、みんなで手を合わせ、迎え火を燃やした。先祖の霊が迷わず、帰って来られるためだと祖母は教えてくれた。3日間、この世にいた霊が再びあの世に帰るので、15日の夕方にはまた送り火を燃やした。だからお盆の3日間は、亡くなった人たちの霊が溢れている。あの世に連れて行かれないように、海で泳いだりせず、蝉取りもやめ、「ちゃんとお参りしなさい」と祖母は私に言った。
子どもの頃は「そういうものだ」と納得していた。どこの家庭もそうするものだと信じていた。それが、小学生も3・4年になると、「これまでに何人の人が亡くなったのか知らないが、地球上は亡くなった人の霊で一杯になっているはず。おじいさんのおじいさんは帰る家があるが、その前のご先祖はどうしているのだろう」などと、屁理屈を考えるようになった。それに、15日が終戦記念日で何百万人の日本人が亡くなったと知り、病死や老衰ならともかく、どうして殺されなければならなかったのかと思うようになった。
仏壇には叔父の位牌があり、その叔父のための墓石もあった。「フィリッピン沖で亡くなった」としか、私は知らない。「戦争は何故起きたの?戦争をした人はどうなったの?」。戦争責任に関心を持った私に父親は、「誰も責任は取らなかった」とだけ言った。近所にも戦地に行った人はいたが、戦争の話をする人はいなかった。触れたくない過去を避けているようだった。友だちの家で、中国戦線にいた父親が密かに持ち帰った写真が一番印象深い。
日本の軍人が中国人の首を軍刀で切り落としていた。切り落とされた首が縄でつながれていた。今朝の新聞で特攻機に乗り込んだ人に「怖くなかったのか?」と質問していたが、戦争は普通の精神状態ではいられないから、「軍人になった時から死は覚悟していた」と答えている。そんな気持ちにさせてしまうから戦争は怖い。戦地には行かずに、命令だけ下していた人たちは何故責任をとらないのかと思う。