猛暑が続く、広島原爆の日。73年前もこんな風な暑い日だったのだろうか。平和公園で行われる平和式典をテレビで見る。毎年思うことだが、広島市長は極めて具体的に、被爆国の日本は「核兵器禁止条約」に参加し、世界平和の実現に努力すべきだと政府に迫ったのに、安倍首相は相変わらず、「核保有国と非核保有国との橋渡しをする」と言う。
「核は戦争の抑止力」という考えは日本でも根強くある。誰もが「戦争はいけない」と言うが、じゃ―どうするのかとなると、「相手よりも強力な軍備を持てば攻めてこない」から、「核を持つか、核を持つ国の傘下にいればいい」と主張する。北朝鮮もイランもアメリカと同じ考えだ。「核は戦争を回避する」と言うのは軍需産業で儲けている人の主張だ。
こういう人は、「みんなが仲良く平和に暮らすなどは幻想に過ぎない」と言いふらす。100パーセント近い人々が「戦争はいけない」と考えているのに、なぜ1パーセントの人たちは「平和は実現しない」と主張するのだろう。今日も広島の子どもたちが「平和の誓い」を力強く宣言してくれた。「平和は実現しない」のではなく、実現しなければならないことなのだ。
戦争は誰がするのか。戦争は政府が軍隊を使って行う。政府は国会議員の多数派によって組織される。選挙で、戦争に賛成する候補者を選ばなければいいのだが、選挙で戦争したいと主張するバカな候補者はいない。選挙では、「経済をよくする」とか「女性が活躍する社会」とか「高齢者が安心して暮らせる制度」とか、当たり障りのない政策を掲げている。
いや、今はもう少し露骨に、「我が国を本気で守る決意が必要だ」とか「北朝鮮や中国の軍事的な脅威から断固として国を守らなければならない」とか言い、「現憲法はそのまま残し、9条に自衛隊を明記し、防衛のための戦力を保持すると書き加える」と主張する。この提案が「戦争はいけない」と考える人にも受け入れられていく。そう、それが怖い。