中学のクラス会の前日、友だちから「吉本隆明の『異端と正系』を持参して」とメールが来た。私の書棚には吉本氏の著書が11冊、吉本氏に関する評論が3冊並んでいる。このうちの『異端と正系』は彼のものだったのかと気付き、申し訳なかったので『擬制の終焉』を差し上げた。彼に「どうして今、吉本なの?」と聞いてみたが、彼は何も答えてくれなかった。
私も彼も高校生の時は、キリスト教の教会に通っていた。私たちが大学に入った昭和38年は、60年安保闘争の後で、どのように評価するかで論争になっていた。彼は東京の大学に進んだ。学生運動は新左翼と呼ばれた過激派が主流になっていたから、彼はその渦中にいたのだろう。私は大学の図書室にあった『図書新聞』を時々見ていて、吉本隆明氏の名を知った。私が最初買った吉本氏の本は『芸術的抵抗と挫折』で、表題の言葉は私の関心事だったからだ。
吉本氏の著書は小難しくて、もう少し大人になってから読もうと書棚に並べたまま今に至っている。ところが偶然、、街の小さな書店に文芸社文庫の『戦争と平和』(540円)が並んでいた。えっ、と思い、買ってしまった。吉本氏が卒業した工業高校での講演で、帯に「戦争と平和について考える!中学生・高校生にもぜひ読んでほしい本」とある。ページ数も少ないので一気に読めたが、「マチウ書試論」の時のような共鳴が湧いて来なかった。
戦争とは何か、平和とは何かと分析し、平和は個々人によって違うという。それはそうだけど、平和は戦争ではない状態ではいけないのかと思ってしまった。それに戦争を回避するためには、政府を解散できるリコール権を憲法に書けばいいという主張にもビックリする。さらに先進国の国民は過剰消費にあるから、消費の4分の1を一斉に止めたらどんな政府でも潰れる。この経済的なリコール権を先進国の国民は何時でも行使できる状態にあるという主張も納得できない。
彼はどうして吉本氏を読みたくなったのだろう。私たちの思想の遍歴は、キリスト教に始まりどこに辿り着いたのだろう。高校の新聞部の集まりで、彼はそんな話をしてくれるだろうか。期待したい。