友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

情けも厳しさも、人のためならず

2018年08月03日 17時29分46秒 | Weblog

  難しいことがあった。私自身はズボラな性格なのか、人生経験が浅いためか、それほど気にしないので、時々カミさんや娘から叱られる。例えばレストランで、普通の食堂でもいいのだが、注文した品と違うものが運ばれてきたりする。ウエイトレスか店員が間違えたのだが、私は「間違っているから、変えて」とは言えず、「いいよ、それで」と言ってしまう。

 ウエイトレスや店員に厳しく当たらないと、また同じ間違いをしてしまうとみんなは心配するが、私は目先のウエイトレスや店員が気の毒になってしまう。私が通販で買うのはチューリップの球根くらいだが、年によって球根にバラツキがある。「仕方ない」と思ってしまうのは、そんなに悪いものに当たったことがないからだろう。

 私の中学からの友だちは自動車の部品メーカーで営業を担当していた。注文の製品がほんの少しでも規格に満たなければ全てやり直しになるから、とても神経を使ったそうだ。もし、「これくらいならいいだろう」などと安易な考えでいたら、会社そのものを潰しかねない。そのくらい製品の出荷には気を遣っていた。

 そういう厳しい社会の経験がない私は、どうしても甘くなってしまう。以前、歳暮に珍しい果物を送っていた。たまたま親しい知り合いが果物を扱っていたので、その時期になると会社に出向いて必要な数を車に詰め込み、配って回った。ところがある年、果物が傷ついていた。自分では分からなかったが、届け先の友人が箱を開けてビックリして、業者の所に電話を入れたので、業者からの謝りの電話が入って事実を知った。

 友人は「いつも立派な品をもらうのに、傷んでいたのでは送り主に申し訳ないから、今後注意するように」との思いやりの気持ちだった。それを知って私は、自分の未熟さを痛感した。人は指摘されなければ知らずにいることがある。非難ではなくて、これからのための注意を促すことは必要だ。いくつになってもまだまだ勉強することは多い。

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