友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自由と平等と博愛

2018年08月30日 17時21分40秒 | Weblog

  アジア大会を見ていても、アメリカのプロ野球・大リーグを見ていても、いろんな国のいろんな人々が活躍している。2年後に東京オリンピックが開かれるが、もう、国別対抗は止めた方がいい。能力のある人がその優れた技を競い合う、個人のあるいはチームの大会であっていいと思う。そんな東京オリンピックに向けて、また協会の不鮮明さが出てきた。

 今度は体操協会で、大相撲、日大アメフト、女子レスリング、ボクシングなどにも共通している問題が起きた。「選手ファースト」などと言いながら、実態は権力の座にいる者が己の地位にしがみついているように見えてくる。「日本独特の風土」と言う人もいるが、師匠や先輩を見習いながら「技」を磨くことのどこに間違いがあったのだろうか。

 きっと、間違いではなく、限界なのだろう。時代が変わり、生活スタイルが変わり、価値観が変わった。先日も銀行マンのOBから、「最近の若い人は銀行員になりたがらない」と聞いた。AIが進めば人手は不要になり、ますます統合化に拍車がかかり、「先に夢が無いと見ている」と言う。「おそらく団塊世代がこの世から居なくなる20年・30年後は新しい時代ですよ」と教えてくれた。

 明治・大正の祖父や父たちと、戦後育ちの私たちは全く違う生活スタイルと価値観を手にした。私たちの孫の時代は、私たちの想像を超えているだろう。私は家父長そのものであった祖父を見て育ち、「自由と平等」こそ私たちが実現するものだと思って生きてきた。「自由と平等」は切り離せないものであったのに、「自由」を強調すれば「平等」ではなくなるし、「平等」を強調すれば「自由」は狭められる。

 そうなると、フランス革命の時に掲げられた「自由・平等・博愛」の、残る「博愛」こそが、人類が生き残るための、最後の目指すべきものなのかも知れない。

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