風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

スマイル・カーブあれこれ(下)

2010-08-11 16:13:50 | 時事放談
 日本の製造業は、私が物心ついた頃から、ということは、過去30年の間に、二度、大きな変化の波に晒されてきました。
 一度目は、1985年のプラザ合意で、急激な円高が進み、円が一気に二倍に切り上がったため、日本国内で生産し輸出していたのでは採算が合わなくなり、為替や人件費を含めて製造コストが安い国に戦略的生産拠点を求めたり、更には消費地生産するようになりました。これは、海外で販売するものは海外で生産し、国内で販売するものは国内で生産するといった、対外的な対応、量的な対応と言うことができ、輸出依存度(GDPに占める輸出の割合)がそれまでの15%から10%くらいまで急激に下がったことに象徴的に表れています。
 二度目は、これまで述べてきた1990年代以降、技術革新と、真の意味でのグローバリゼーションが進展し、新興国が新たな生産拠点として台頭したことで、とりわけ成熟した電子機器産業のように、技術革新の余地が乏しく、差異化のポイントよりも価格が主要な購買要因となるようなコモディティ(日用品)商品領域にあっては、国内市場においても、新興国で受託生産を請け負う会社を活用するコスト競争力の高い海外メーカーと競合するようになりなったことです。その結果、日本のメーカーは、国内の工場を徹底的に自動化・省力化したり、飽くなき生産革新を追求するなど、けなげな努力を続けて来ました。生産技術の伝承という観点からも、国内の製造から完全撤退するのは製造業の看板を降ろすに等しく、BTOやCTO(顧客から注文を受けて生産)といった一部の機能だけでも国内に残すような形で、製造業の面目を保てる内は良いのですが、中には国内での生産をあきらめて、保守・修理拠点に衣替えした工場もありますし、更には製造は外注管理するだけで、いわば商品を企画・開発し、販売・サービスするだけといった、ものづくりが抜け落ちてサービス化した企業も少なくないのではないかと思います。これは、一度目の対外的・量的な対応と比べると、対内的・質的な転換であり対応だったと思います。
 こうしたミクロでの企業努力は、コストをぎりぎりまで切り詰め、工場の社員を非正規雇用に切り替えてでも国内で生産を続けることを選ぶことにもなりかねませんし、マクロで見ると国内製造業の空洞化と呼ばれる現象となり、雇用の海外流出に繋がっている可能性もあります。しかし安い価格を求める消費者に応じた企業行動を、誰が非難できましょう。失われた20年は、他国が(先進国ですら)低成長ながらも経済成長する中で、日本では現状維持がせいぜいで、相対的に地盤沈下した時期にあたり、経済学の世界では生産性の低下によるものと説明されますが、それはこうしたサービス化の進展と、更に言うと生産性の低い企業も痩せ我慢して生き延びる日本の社会の硬直性も一因ではなかったかと思います。だからこその構造改革だったと思うのですが、その後の政治は、日本の経済をどういった方向に導くべく、政策決定を行って来たのでしょうか。
 以上、データで裏づけが取れればよいのですが、余り一般的とは言えない局所的な現象を取り上げているかも知れず、やや定性的・感覚的に過ぎるかも知れませんが、経済の専門家ではなく飽くまで一企業人として、棲んでいる狭い世界から覗いた世界を述べてみました。悪しからずご了承ください。
コメント
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