昨日、私の変則夏休み後半の部が始まり、上の子とともにオープン・キャンパスに足を運びました。今回は、慶應義塾大学です。
慶應と言えば、私自身わざわざ大阪からすべり止めに文学部を受験しようと思い立ち、願書を取り寄せ、宿泊や新幹線予約の一歩手前まで行きながら、結局、受験を取り止めたことがあるいわく付きの大学です。法・経済学部系を志向しながら、慶應だけは何故か文学部を選んだのは、当時まだ学生だった紺野美沙子さんに偶然会えるかもしれないという野次馬根性からであることを自覚し、そうした面白半分の思いつきは、今思うと、受験の中で自ら積み上げて来たものを壊したい衝動だったのかも知れませんが、結局、面倒くさくなったのでした。その後、大学を卒業して今の会社に入ると、上司や同僚など至るところに慶應出身者が溢れ、三田会などと、私の出身大学にはない結束力もあって、半ば羨ましく、半ば反発する思いもあり、中途半端な距離を保ってきました。
訪れたのは理工学部の矢上キャンパスで、日吉キャンパスの丘を下った先にあります。実は私は駅の反対側にある会社の独身寮に5年間入るご縁もあったのですが、慶應キャンパスには一度も遊びに行ったことがないばかりか、駅のこちら側に降り立ったことすらなく、それが目新しいばかりでなく、日吉駅そのものの変わりように、20年の年月を感じました。
さて、肝心のオープン・キャンパスでは、午前中は子供の高校のクラブ活動があったため、中途半端な時間に到着し、さる教授による学部説明を聞いただけでしたが、併せて理工学部紹介のパンフレットを見ていると、上智と比較しての話になってしまいますが、理工学部としてカバーする領域の広さと施設の充実度が際立ちます。ユニークなのは、入学の際には5つの学門(問ではなく、まさにGateとしての門)から入り、二年目から進むべき専門課程としての学科を見極める時間を置いているところでしょう。詳しくないので何とも言えませんが、東大の文及び理1・2・3と発想が似ているかも知れない。専門課程に入るにあたって、予め多少の幅を持たせて融通をきかせるのは、不慣れな子供たちにとっては有難い仕組みです。
在学生を「塾生」と呼ぶのは聞いていましたが、卒業生を「塾員」と呼び、学生・卒業生・教員などの関係者を総称して「社中 (または義塾社中)」と呼ぶとは初めて知りました。また、今回のオープン・キャンパスでも、学科紹介は「学問のすすめ」と銘打ち、それぞれ「xxx学科のすすめ」とタイトルするこだわりようは、伝統校ならではのプライドでしょうか。もっと古臭い建物を想像していましたが、図書館をメディア・センターと呼ぶことをはじめとして、全てが所謂“慶應”のイメージ通りに小奇麗で、背後に財政的な余裕をぷんぷん感じさせます。それは、暑い一日で、しかも日中の移動となり、キャンパスが広くて歩かされて、ことさらに暑さを感じさせられながら、前回の上智同様、建物に一歩入ると冷房完備できゅんと冷やされるところにも感じさせます。私が通った田舎の国立大学とはえらい違いです(もっとも今はさすがに冷房が入っているかも知れないが)。あの頃の、ちょっとかび臭い木造の机や椅子や廊下が、懐かしい。
相変わらず日本の学校制度への理解が乏しく、進学の意欲や志向が湧かない我が子ですが、道すがらの会話にちょっとした変化が感じられ、もしやオープン・キャンパスを同じように訪れる大勢の高校生たちに囲まれ、少しはその気になったのかも知れません。親がくどくど言うよりも、同じ年頃の友人・知人の一言や行動に最も感化されやすい年頃だからです。また、大学というものを具体的に見て歩いたことも作用しているかも知れません。やはり話を聞くだけではなく、目で見て肌身で感じることこそ重要です。そうだとするならば、暑いさ中に付き添いで外出する親の苦労も報われたか。
慶應と言えば、私自身わざわざ大阪からすべり止めに文学部を受験しようと思い立ち、願書を取り寄せ、宿泊や新幹線予約の一歩手前まで行きながら、結局、受験を取り止めたことがあるいわく付きの大学です。法・経済学部系を志向しながら、慶應だけは何故か文学部を選んだのは、当時まだ学生だった紺野美沙子さんに偶然会えるかもしれないという野次馬根性からであることを自覚し、そうした面白半分の思いつきは、今思うと、受験の中で自ら積み上げて来たものを壊したい衝動だったのかも知れませんが、結局、面倒くさくなったのでした。その後、大学を卒業して今の会社に入ると、上司や同僚など至るところに慶應出身者が溢れ、三田会などと、私の出身大学にはない結束力もあって、半ば羨ましく、半ば反発する思いもあり、中途半端な距離を保ってきました。
訪れたのは理工学部の矢上キャンパスで、日吉キャンパスの丘を下った先にあります。実は私は駅の反対側にある会社の独身寮に5年間入るご縁もあったのですが、慶應キャンパスには一度も遊びに行ったことがないばかりか、駅のこちら側に降り立ったことすらなく、それが目新しいばかりでなく、日吉駅そのものの変わりように、20年の年月を感じました。
さて、肝心のオープン・キャンパスでは、午前中は子供の高校のクラブ活動があったため、中途半端な時間に到着し、さる教授による学部説明を聞いただけでしたが、併せて理工学部紹介のパンフレットを見ていると、上智と比較しての話になってしまいますが、理工学部としてカバーする領域の広さと施設の充実度が際立ちます。ユニークなのは、入学の際には5つの学門(問ではなく、まさにGateとしての門)から入り、二年目から進むべき専門課程としての学科を見極める時間を置いているところでしょう。詳しくないので何とも言えませんが、東大の文及び理1・2・3と発想が似ているかも知れない。専門課程に入るにあたって、予め多少の幅を持たせて融通をきかせるのは、不慣れな子供たちにとっては有難い仕組みです。
在学生を「塾生」と呼ぶのは聞いていましたが、卒業生を「塾員」と呼び、学生・卒業生・教員などの関係者を総称して「社中 (または義塾社中)」と呼ぶとは初めて知りました。また、今回のオープン・キャンパスでも、学科紹介は「学問のすすめ」と銘打ち、それぞれ「xxx学科のすすめ」とタイトルするこだわりようは、伝統校ならではのプライドでしょうか。もっと古臭い建物を想像していましたが、図書館をメディア・センターと呼ぶことをはじめとして、全てが所謂“慶應”のイメージ通りに小奇麗で、背後に財政的な余裕をぷんぷん感じさせます。それは、暑い一日で、しかも日中の移動となり、キャンパスが広くて歩かされて、ことさらに暑さを感じさせられながら、前回の上智同様、建物に一歩入ると冷房完備できゅんと冷やされるところにも感じさせます。私が通った田舎の国立大学とはえらい違いです(もっとも今はさすがに冷房が入っているかも知れないが)。あの頃の、ちょっとかび臭い木造の机や椅子や廊下が、懐かしい。
相変わらず日本の学校制度への理解が乏しく、進学の意欲や志向が湧かない我が子ですが、道すがらの会話にちょっとした変化が感じられ、もしやオープン・キャンパスを同じように訪れる大勢の高校生たちに囲まれ、少しはその気になったのかも知れません。親がくどくど言うよりも、同じ年頃の友人・知人の一言や行動に最も感化されやすい年頃だからです。また、大学というものを具体的に見て歩いたことも作用しているかも知れません。やはり話を聞くだけではなく、目で見て肌身で感じることこそ重要です。そうだとするならば、暑いさ中に付き添いで外出する親の苦労も報われたか。