風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

パンデミック宣言から一年

2021-03-24 01:44:42 | 日々の生活
 緊急事態宣言がようやく解除された。昨日、たまたま都心に出たら、大変な人出に驚いた。これが宣言解除のせいなのか、以前と比べてどうなのか、判然としない。私が目にする東京に限ると、これだけ人が密に活動していながら、欧米諸国に比べて、この程度の感染にとどまっているのは凄いことだと、あらためて感心する。
 政府筋からは、「延長しても打つ手がない」とか、「宣言を続けても、国民に頑張る体力や気力がなくなる」 「このまま続けて増えたら、緊急事態宣言の意味がなくなってしまう」といった諦めの声が漏れ聞こえて来る・・・などといった意地悪な報道がある。実際に、感染者数は下げ止まり、むしろリバウンドの気配を見せているので、この二週間の延長は一体何だったのかと思わないでもないが、やはり今回も、東京オリパラが影響していたと考えざるを得ない。25日から聖火リレーが始まるというのに、3月7日で解除して、その後、感染が拡大してしまったら歓迎ムードに水を差しかねない(忌避ムードが盛り上がりかねない?)ので、宣言解除を聖火リレー直前まで引き付けたのだろう。この春の桜の開花は、例年より早いことでもあるし。
 振り返れば、経済を無理矢理、元のカタチに戻す象徴とも言えた(最も疲弊した観光・運輸業を救済する)Go To トラベルは、政策の狙いとしては悪くなかったと思うが、結局、接触機会が増えて、自然体でいるよりは感染が拡大し、年末の忘年会シーズンを甘く見て、更なる拡大を招いて、二度目の緊急事態宣言発出が余儀なくされた。本来であれば、宣言をチラつかせながら国民の自制を促し、宣言を発出しないで所謂「ハンマー&ダンス」によってぎりぎりのところで泳ぐのが理想なのだろうが、宣言が発出されないことには、人々の行動変容を迫るのは難しいのだろうか。マスコミや野党はこの状況を政権批判に利用するので、残念ながら政府と国民が一体となって「有事」を乗り切る協調的な雰囲気からは程遠い。
 さらにもっと振り返れば、何かと物議を醸した、WHOのパンデミック宣言は昨年3月11日、私の会社が原則として在宅勤務に入ったのは3月27日のことで、あれから一年になる。誰もがオフィスに集まって、わいわい仕事するという感覚が、私の経験値としての30数年どころか日本の資本主義の開闢以来150年振りに、ひっくり返ってしまった。
 それにしてもゴールの見えない戦いは厳しい。マラソンというレース自体は言うに及ばず、日々の練習を積み重ねられるのもレース出場という目標(ゴール)があればこそ。今、ワクチン接種が始まったが、私たちはなおゴールの見えないレースに向き合っている。
 先日、一年振りの定期健康診断があって、コロナ太りどころか、逆に体重が5キロ以上も減って、看護士さんに心配されてしまった。一日中、座ったままの姿勢では身体が凝り固まってしまうので、昼食後、お日様を浴びに軽めの散歩をし、夕方、通勤並みの運動を課すために早歩きの散歩をするというルーチンを、感情を押し殺して続けている。家呑みは増えたが、酒を飲みながらガツガツ食うことはなく、夜遅くに食べることもなく、そもそも外食が少なく、間食もなく、年齢相応に小食を心掛けている。やせ我慢はそうそう続くものではないのだが・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミャンマーの混迷 | トップ | お里が知れる:中国編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の生活」カテゴリの最新記事