週末、余りに暑くて床屋に髪を切りに行った。同じことを考える人が多かったのか予想外に混んでいて、待ち時間に週間朝日とやらを久しぶりにじっくり読んだ。
話は脇道に逸れるが、日本の企業社会でも虚礼を廃するようになって久しく、最近は会社関係者との年賀状のやりとりはない(どころか、個人情報として自宅住所が開示されないので、そもそも年賀状を送りようがない)。今となっては当たり前のことだが、慣習の恐ろしさであろうか、長年、止められなかったのを不思議に思う。海外出張でも手土産を省略することが多くなった。それでも虚礼と見なすことにはまだ心理的な抵抗があり、週刊誌を読み捨てる感覚で現地駐在員に差し上げることで、心理的に救われることから、半分は手土産のつもりで半分は機内の徒然に、何冊か買い込むのを常としている。そんなとき、多少なりとも緊張が高まる海外(これは日本人のサガである)そして出張(これは勿論仕事のせい)の前に、束の間リラックスしたいときに、敢えて精神的にざらざらしてしまう、つまり肌が合わない議論には付き合いたくないので、選ぶ週刊誌は決まって文春か新潮かせいぜいポストということになる。つまり、いつもの床屋に週刊朝日しかないのを半ば落胆しながら、読み始めたわけだ。
巻頭記事の一つで、所謂ナイ・レポートを取り上げていた。
ジョセフ・ナイ氏と言えば、知日派で知られるハーバード大学特別功労教授で、クリントン政権の1994~95年には国防次官補として政策決定にも携わり、同じく1983~89年に国防次官補を務めた知日派のリチャード・アーミテージ氏とともに、2000年、2007年、2012年と三次にわたり対日外交の指針として超党派による政策提言報告「アーミテージ・ナイ・リポート」を作成・発表したことでも知られる。直近の2012年レポートでは、冒頭、「日本が今後世界の中で『一流国』であり続けたいのか、あるいは『二流国』に甘んじることを許容するつもりなのか」と問いかけ、『一流国』であり続けようとするのなら、「国際社会で一定の役割を果たすべきである」と迫ったことで話題になった(折しも民主党政権の惨状を目の当たりにして・・・というタイミングであった)。そして、「アジアにおける諸問題に対処するためには日米関係の強化および対等化が必要との認識を示し、両国の防衛協力強化を提言した他、日本に対し集団的自衛権の行使や自衛隊海外派遣の推進、PKOへの参加拡大などを要望した」(Wikipedia)のであった。彼らはここ10年来毎年のように日経とCSIS(戦略国際問題研究所)共催のシンポジウムに出席するため来日し、好き放題語り、日本のメディアやビジネスパーソンはそれを有難く拝聴するという年中行事が繰り広げられている。何を隠そう私も何度か傍聴しているが、知日派は親日派とは限らないこともまた痛感している。
今さらではあるが、週刊朝日の記事は、安倍政権による集団的自衛権の行使容認やそれに続く安保法制化の動きが「ナイ・レポート」の要望通りだと指摘している。そしてリベラル系の雑誌でお馴染み孫崎某という元外交官の解説を交えながら、防衛省に格上げされて以来、日本の防衛省と米国の国防総省等とのパイプが太くなり、日本・防衛省の要望が「ナイ・レポート」で取り上げられている面もあるのではないかと推測している。「ナイ・レポート」を取り上げるのなら、今さらではあるが、彼らの戦略分析を批判すればいいものを、そういうことは一切顧慮することなく、ただかつての(その筋では悪名高い)「年次改革要望書(日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書)」で日本が米国から改革を迫られた構図と似たようなものを嗅ぎ取っているだけである。それはそれで現象的にそう理解される面は確かにあるが、国防費を抑えざるを得ない状況下で東アジアの安全保障環境を維持することに苦慮する米国と、自主防衛を強化したい安倍政権との思惑が一致しているのが、そもそもの客観的な事実であろう。
床屋談義と言って、床屋のオヤジと話したわけではないのだが、週刊朝日ともあろうものが、これでは反対することが自己目的化した反安倍キャンペーンと変わりなく、言論空間としては余り健全ではなく、床屋談義とタイトルするのは床屋のオヤジに失礼な話かも知れない。
話は脇道に逸れるが、日本の企業社会でも虚礼を廃するようになって久しく、最近は会社関係者との年賀状のやりとりはない(どころか、個人情報として自宅住所が開示されないので、そもそも年賀状を送りようがない)。今となっては当たり前のことだが、慣習の恐ろしさであろうか、長年、止められなかったのを不思議に思う。海外出張でも手土産を省略することが多くなった。それでも虚礼と見なすことにはまだ心理的な抵抗があり、週刊誌を読み捨てる感覚で現地駐在員に差し上げることで、心理的に救われることから、半分は手土産のつもりで半分は機内の徒然に、何冊か買い込むのを常としている。そんなとき、多少なりとも緊張が高まる海外(これは日本人のサガである)そして出張(これは勿論仕事のせい)の前に、束の間リラックスしたいときに、敢えて精神的にざらざらしてしまう、つまり肌が合わない議論には付き合いたくないので、選ぶ週刊誌は決まって文春か新潮かせいぜいポストということになる。つまり、いつもの床屋に週刊朝日しかないのを半ば落胆しながら、読み始めたわけだ。
巻頭記事の一つで、所謂ナイ・レポートを取り上げていた。
ジョセフ・ナイ氏と言えば、知日派で知られるハーバード大学特別功労教授で、クリントン政権の1994~95年には国防次官補として政策決定にも携わり、同じく1983~89年に国防次官補を務めた知日派のリチャード・アーミテージ氏とともに、2000年、2007年、2012年と三次にわたり対日外交の指針として超党派による政策提言報告「アーミテージ・ナイ・リポート」を作成・発表したことでも知られる。直近の2012年レポートでは、冒頭、「日本が今後世界の中で『一流国』であり続けたいのか、あるいは『二流国』に甘んじることを許容するつもりなのか」と問いかけ、『一流国』であり続けようとするのなら、「国際社会で一定の役割を果たすべきである」と迫ったことで話題になった(折しも民主党政権の惨状を目の当たりにして・・・というタイミングであった)。そして、「アジアにおける諸問題に対処するためには日米関係の強化および対等化が必要との認識を示し、両国の防衛協力強化を提言した他、日本に対し集団的自衛権の行使や自衛隊海外派遣の推進、PKOへの参加拡大などを要望した」(Wikipedia)のであった。彼らはここ10年来毎年のように日経とCSIS(戦略国際問題研究所)共催のシンポジウムに出席するため来日し、好き放題語り、日本のメディアやビジネスパーソンはそれを有難く拝聴するという年中行事が繰り広げられている。何を隠そう私も何度か傍聴しているが、知日派は親日派とは限らないこともまた痛感している。
今さらではあるが、週刊朝日の記事は、安倍政権による集団的自衛権の行使容認やそれに続く安保法制化の動きが「ナイ・レポート」の要望通りだと指摘している。そしてリベラル系の雑誌でお馴染み孫崎某という元外交官の解説を交えながら、防衛省に格上げされて以来、日本の防衛省と米国の国防総省等とのパイプが太くなり、日本・防衛省の要望が「ナイ・レポート」で取り上げられている面もあるのではないかと推測している。「ナイ・レポート」を取り上げるのなら、今さらではあるが、彼らの戦略分析を批判すればいいものを、そういうことは一切顧慮することなく、ただかつての(その筋では悪名高い)「年次改革要望書(日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書)」で日本が米国から改革を迫られた構図と似たようなものを嗅ぎ取っているだけである。それはそれで現象的にそう理解される面は確かにあるが、国防費を抑えざるを得ない状況下で東アジアの安全保障環境を維持することに苦慮する米国と、自主防衛を強化したい安倍政権との思惑が一致しているのが、そもそもの客観的な事実であろう。
床屋談義と言って、床屋のオヤジと話したわけではないのだが、週刊朝日ともあろうものが、これでは反対することが自己目的化した反安倍キャンペーンと変わりなく、言論空間としては余り健全ではなく、床屋談義とタイトルするのは床屋のオヤジに失礼な話かも知れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます