風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

奇跡の生還

2016-06-05 13:07:48 | 日々の生活
 北海道函館近くの林道で、両親に置き去りにされ行方不明になっていた小学2年生の少年が、無事保護された。置き去りにされたのは28日夕方5時、発見されたのは3日朝8時だから、6度の夜を真っ暗闇の中、たった一人で過ごしたことになる。不安だったろうし、悲しかったろうし、気丈でよく頑張ったと思う。無事でなによりで、金曜夜はニュースに釘付けになった。
 状況を簡単に振り返るとこうなる。鹿部町の公園で川遊びをしていた4人家族の男の子が、公園で人や車に石を投げつけ、親の言うことを聞かなかったため、自宅への帰り道に、しつけの意味を込め、七飯町の舗装されていない林道で車から降ろされて置き去りにされ、5分後に父親が現場に戻ったが、もう姿が見えなくなっていた、というものだ。報道によると、少年はその日の内に5キロ先の陸上自衛隊演習場に辿り着き、たまたま施錠されていなかった簡易宿泊施設の小屋(と言っても長さ30メートル、幅6メートルもある)に潜り込み、ストーブも電灯もあったが電源がないため、自衛隊員が宿泊時に使う備え付けのマットレスで暖をとり、出入り口近くの屋外にある水道で空腹を癒していたらしい。
 5月末の北海道は最低気温が10度を下回る日もあったが、風雨を防ぎながら、じっとしていたことが、結果的に体力の消耗を抑え生存に繋がったとされる。そのため、我慢強く、知恵のある子だと、特に山岳救助関係者の賞賛の声が聞こえて来るが、もとよりこれは結果論だろう。捜索隊に加わった自衛隊員によると、夜、暗くても街(鹿部の町)の明かりを頼りに演習場に辿り着いたのではないかという。演習場は捜索範囲に入っておらず、小屋に立ち寄った自衛隊員は、雨が降る中でミーティングをする必要があったため、急遽予定になかったその施設に向かったのだという。日常のごくありふれた出来事から大きく外れることのない小さな偶然が積み重ねられただけのように見える。リスクマネジメントの観点からいろいろ考えさせられる事案だ。小学2年生で人や車に向かって石を投げつけるような子だから、多少、ヤンチャではあったろう。置き去りにされて、親が乗った車が走り去った方向に歩かなかったのも、大したものだ。しかし、小屋で5日以上にわたってじっとしていたとは実にいじらしい。子供は無力だ。
 両親は、警察に駆け込んだ当初、普段から虐待をしていると疑われるのではないかと、世間体を気にして、山菜採り中に家族とはぐれたと通報していたが、その説明が虚偽と判明し、日本でも置き去りにしたことが保護責任者遺棄の容疑に当たるか慎重に調べられたように、欧米メディアでも、しつけの行き過ぎとして関心を集め、大きく報道された。ハフポスト韓国版は日本版の記事を翻訳して速報しただけだが、US版のコメント欄には、無事を喜ぶ声に加えて「子供を両親に戻すべきではない。両親のやったことは非常に虐待的だ。どうして7歳の子供にこんなことができるのか」、「子供を教育しようとして、子供に教育された」といった意見まで書き込まれたらしい。
 幼児虐待に敏感なアメリカでは、ごく日常の移動手段である自家用車の中に僅かの時間でも子供だけ残すことは犯罪のため、私たち日本人は常に意識していなければならなかったし、ショッピングモールでオモチャを買って貰えなくてむずかる子供(当時5歳)を叱っていると周囲の空気が変わったことに驚いて、思わず叱るのを止めたこともあった。アメリカほど幼児虐待が(最近は時々報道されるが)社会問題化するほどではない日本でも、尾木ママは「悪いしつけの見本」と厳しく批判した。「虐待とは『子供のためといいながら、親の気持ちを満足させるため』子供が納得していないのに、恐怖や痛みを与え、従わせるのは悪いしつけ。良いしつけとは、なぜいけないのか、どうしてあいさつが大切なのか…。意味や理由を分からせながら教えていくことです」。脳心理学者の茂木健一郎氏は「これは『しつけ』ではありません。『保護責任者遺棄罪』(刑法218条)という犯罪です。ぼくはそもそも『しつけ』という日本語が大嫌いです。『しつけ』という言葉を使う人も嫌いです」とツイートしたらしい。
 今回、見知らぬ土地(と思われる)で置き去りにし、しかも5分も放ったらかしにするなど、親の行き過ぎがあることは明らかだと思うし、尾木ママの批判もよく分かるが、親だって完璧ではなく、さらに他人の家庭のことになると口出しするのを控える傾向にあり、普段どんな親子関係にあるのか、どんな子なのか、部外者には判断し辛い面もあって、ちょっと歯切れが悪くなる。アメリカのように法律という形で社会的コンセンサスがあれば対処の仕様もあるが、日本は単一民族でそれほど明確にある一線をハミ出す人は少なく、そういう面でも繰り返しになるが一人ひとりが意識しなければならないリスクマネジメントの問題として考えさせられる。
 最後に、捜索隊に加わった自衛隊員の言葉を引用したい。「6日間も水だけで生き抜いた大和君は本当に生きる力が強かった。大きくなったら、自衛隊に入隊してほしい」。親のことはさておき、少年が頑張ったことだけは間違いないし、光明であり、この言葉に触れてふっと涙腺が緩んでしまった。繰り返すが、日常のごくありふれた出来事から大きく外れることのない小さな偶然が積み重ねられただけのことだと思うが、いくつもの幸運が重なり6日間もの時間を耐え忍んだことが、奇跡に変えた。
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