645年の「大化」から数えて248番目の元号は「令和」に決まった。一番びっくりしたのは、お笑いコンビ・メイプル超合金のカズレーザー(本名:金子和令=かずのり)のようで、新元号をひっくり返した名前なものだから、ファンからは「新時代をひっくり返す男」「時の人」など多くのコメントが寄せられたらしい(笑)。
一週間も経つとさすがに落ち着いて来たが、大変なはしゃぎようだった(し、まだこれからのところもある 笑)。「昭和→平成」のときのような自粛ムードが今回はないせいでもあるだろう。日本コカ・コーラは、4月1日13時から新橋で「令和」ラベルのコカ・コーラ2000本を配布したらしいし、タカラトミーは同日14時から渋谷で「令和」ラベルを貼った「人生ゲーム」を100人に配布し、「人生ゲーム+令和版」を6月に発売することにしたらしいし、そごう・西武は、4月27~30日に「平成」、5月1~6日に「令和」の焼き印入りどら焼きを計5万個配布するらしい。他方、メルカリには早速、4月1日の号外や、「令和」の人生ゲームや、万葉集や、果ては自作らしき「令和」雑貨や「令和」自筆文字までが出品されたらしい。便乗商法にもいろいろあるものだ。さらに「元号が変わるとカードが使えなくなるので変えるように」といった手口で銀行口座やクレジットカードや携帯電話などに関連した詐欺が横行しているのもご存知の通り。俄かに元号で盛り上がる彼らは、普段、そんなに元号を使っているのか甚だ怪しいものだ(笑)。
私も、かつてマレーシア・ペナン島に駐在したとき、日本の自動車運転免許証はそのまま現地の免許証に切り替えることが出来たので(これはひとえに日本の信用力のなせるわざだと思う)、警察署まで手続きに行ったところ、(免許証に記載されている)「昭和」「平成」とは何だ? 本当に有効な免許証なのか? と疑われた挙句、「西暦で書くべきじゃないのか」と助言までされてしまった。「まあ、そうね」と愛想笑いを浮かべたものの、心の中では、余計なお世話だ、あんたたちだって警察署で英語が通じるようにしてくれよ、と毒づいたものだ(というのは、マレーシアでは、ブミ・プトラ政策によって、役人はマレー人に限られ、マレー語しか通じないので、そのときは通訳を伴っていたのだ)。
もう聞き飽きたことだが・・・専門家の話を聞いていると、「令和」は“表向き”概ね好感されているが、意外だとも受けとめられたようだ。先ず出典が漢籍ではなく、初めて和書(万葉集)からの引用だった。また、過去248の元号に使用された73の漢字の内、「和」は20回目だが、「令」は初出だった。実は大和言葉に「ら行」で始まる単語は存在しなかったらしく、漢語の「れい」から始まる元号は奈良時代の「霊亀(れいき)」以来となるため、「音の響きも新しく聞こえた」と言う学者先生がいた。さらに、万葉集にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮(はい)後の香を薫らす」という、730(天平2)年、太宰府の大伴旅人邸に山上憶良らが集まって詠んだ32首の梅の歌の序文から引いたもので、これまでの元号のように道徳や思想などが前面に出るのではなく、美しい春の宴で四季を愛でる心を表現した文章から引用された点が「面白い」「日本的で良い」と言う学者先生もいた。
他方で、“表向き”じゃないところでは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかり、とりわけ安倍首相のことが嫌いで仕方ない左派の方々を中心に、有名どころでは東京大学史料編纂所の本郷和人教授など、ここぞとばかりに細かい(と私には思える)いちゃもんをつけた。先ず、「令」は「命令」の「令」のイメージだと、零細野党・社民党だけでなく、自民党の石破さんまで(最近はすっかり反体制づいて)指摘された。確かに「令」の構造は、ひざまずいている人に申しつけている形で、「命令」の意を含むため、「令和」を漢文調にすると「和たらしむ」とも読めて、「国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」(社民党の又市征治党首)との批判で、分からなくはないが、「令」についてのOne of Themの解釈だろう(因みに天邪鬼な私は、4月1日の昼休みに話題にした際、同僚には「大宝律令の令」と説明した 笑)。本郷教授はさらに「巧言令色鮮(すくな)し仁」という故事を引き、「口先がうまく、顔色がやわらげて、人を喜ばせ、媚びへつらうことは、仁の心に欠ける」という意味で、「仁」が儒教で最も大切な概念で、今でいう「愛」を意味するのに対し、一番遠いのが「巧言令色」だと言っているところが引っかかる、などともっともらしく指摘されたが、ここまで来ると屁理屈以外の何物でもない(苦笑)。探せばイメージが良くない四字熟語は(「平」「成」であっても「昭」「和」であっても)見つかるだろう。ここでの「令」は「令嬢」「令夫人」などの敬称にも転じているように、「良い」という意味であることには違いなく(中国文学専攻の専門家によれば、「令」は「吉」と通じ、めでたい意味があるとも言う)、わざわざネガティブな意味に使われる「巧言令色」なる四字熟語を引っ張って来ることもないだろうに、人が悪いなあ、と思ってしまう。さらに本郷教授は、「令旨」が皇太子殿下の命令という意味で、天皇の命令ではない、つまり、「令」という字は皇太子と密接な結びつきがあるもので、天皇と密接な関係があるのは「勅」「宣」などの字であって、(天皇の生前退位で定める)新元号とは少しズレている」とも指摘され、中世史を専門とされる本郷教授の本領発揮と言えるかも知れないが、中国から伝わった慣用の熟語としてそうであっても、私の手元の漢和辞典で「令」自体にそのような意味づけがなされているようには見えない。
もう一つは、CNNテレビが日本在住の米国人大学教員の談話を引用しつつ、昭和と同じ「和」を用いたのは、首相が第二次大戦を「より肯定的」に語る取組みの一環だとし、「日本政治の右傾化を反映している」と評したのは(リベラルなCNNらしいが)極端にしても、新元号の引用元が中国の古典ではなく日本の古典だったことで“脱中国”が図られたことが驚きをもって伝えられ、ひいては安倍首相が保守派に阿ったと、まことしやかに解説される。しかし新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注では、「令月」について、『文選』に収められた張衡の「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」という使用例があることを紹介している通り、たとえ万葉集とは言え(和歌は所謂万葉仮名が初めて使われたとは言え)漢字文化圏から逃れられるものではないのは今さら言うまでもないだろう。思えば、山本五十六提督は、連合艦隊旗艦に他の書籍とともに万葉集を持ち込んだおられたのは、防人の歌があったからだとは思うが、ほんの80年ほど前まで万葉集は身近でかけがえのない存在だったことは事実のようであり、保守派には心に響くエピソードではあろうが。
なにはともあれ、本家本元の中国で前漢の武帝の時代に誕生し清朝を最後に消滅した元号が、日本では今なお使用されるという、地域を超えて伝播する文化の妙を感じる。改元のとき故ではあるが、21世紀の現代にあっても、賛成も反対も、漢字一つの意味をああだこうだと議論するとは、なかなか奥床しい文化だとは言えないだろうか。美人書家として知られる安田舞さんは、「令和」という字をひと目見た時、字の並びがとても綺麗で、美しく洗練された元号だと感じたと語っており、私も同様に素直に喜びたい。
一週間も経つとさすがに落ち着いて来たが、大変なはしゃぎようだった(し、まだこれからのところもある 笑)。「昭和→平成」のときのような自粛ムードが今回はないせいでもあるだろう。日本コカ・コーラは、4月1日13時から新橋で「令和」ラベルのコカ・コーラ2000本を配布したらしいし、タカラトミーは同日14時から渋谷で「令和」ラベルを貼った「人生ゲーム」を100人に配布し、「人生ゲーム+令和版」を6月に発売することにしたらしいし、そごう・西武は、4月27~30日に「平成」、5月1~6日に「令和」の焼き印入りどら焼きを計5万個配布するらしい。他方、メルカリには早速、4月1日の号外や、「令和」の人生ゲームや、万葉集や、果ては自作らしき「令和」雑貨や「令和」自筆文字までが出品されたらしい。便乗商法にもいろいろあるものだ。さらに「元号が変わるとカードが使えなくなるので変えるように」といった手口で銀行口座やクレジットカードや携帯電話などに関連した詐欺が横行しているのもご存知の通り。俄かに元号で盛り上がる彼らは、普段、そんなに元号を使っているのか甚だ怪しいものだ(笑)。
私も、かつてマレーシア・ペナン島に駐在したとき、日本の自動車運転免許証はそのまま現地の免許証に切り替えることが出来たので(これはひとえに日本の信用力のなせるわざだと思う)、警察署まで手続きに行ったところ、(免許証に記載されている)「昭和」「平成」とは何だ? 本当に有効な免許証なのか? と疑われた挙句、「西暦で書くべきじゃないのか」と助言までされてしまった。「まあ、そうね」と愛想笑いを浮かべたものの、心の中では、余計なお世話だ、あんたたちだって警察署で英語が通じるようにしてくれよ、と毒づいたものだ(というのは、マレーシアでは、ブミ・プトラ政策によって、役人はマレー人に限られ、マレー語しか通じないので、そのときは通訳を伴っていたのだ)。
もう聞き飽きたことだが・・・専門家の話を聞いていると、「令和」は“表向き”概ね好感されているが、意外だとも受けとめられたようだ。先ず出典が漢籍ではなく、初めて和書(万葉集)からの引用だった。また、過去248の元号に使用された73の漢字の内、「和」は20回目だが、「令」は初出だった。実は大和言葉に「ら行」で始まる単語は存在しなかったらしく、漢語の「れい」から始まる元号は奈良時代の「霊亀(れいき)」以来となるため、「音の響きも新しく聞こえた」と言う学者先生がいた。さらに、万葉集にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮(はい)後の香を薫らす」という、730(天平2)年、太宰府の大伴旅人邸に山上憶良らが集まって詠んだ32首の梅の歌の序文から引いたもので、これまでの元号のように道徳や思想などが前面に出るのではなく、美しい春の宴で四季を愛でる心を表現した文章から引用された点が「面白い」「日本的で良い」と言う学者先生もいた。
他方で、“表向き”じゃないところでは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかり、とりわけ安倍首相のことが嫌いで仕方ない左派の方々を中心に、有名どころでは東京大学史料編纂所の本郷和人教授など、ここぞとばかりに細かい(と私には思える)いちゃもんをつけた。先ず、「令」は「命令」の「令」のイメージだと、零細野党・社民党だけでなく、自民党の石破さんまで(最近はすっかり反体制づいて)指摘された。確かに「令」の構造は、ひざまずいている人に申しつけている形で、「命令」の意を含むため、「令和」を漢文調にすると「和たらしむ」とも読めて、「国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」(社民党の又市征治党首)との批判で、分からなくはないが、「令」についてのOne of Themの解釈だろう(因みに天邪鬼な私は、4月1日の昼休みに話題にした際、同僚には「大宝律令の令」と説明した 笑)。本郷教授はさらに「巧言令色鮮(すくな)し仁」という故事を引き、「口先がうまく、顔色がやわらげて、人を喜ばせ、媚びへつらうことは、仁の心に欠ける」という意味で、「仁」が儒教で最も大切な概念で、今でいう「愛」を意味するのに対し、一番遠いのが「巧言令色」だと言っているところが引っかかる、などともっともらしく指摘されたが、ここまで来ると屁理屈以外の何物でもない(苦笑)。探せばイメージが良くない四字熟語は(「平」「成」であっても「昭」「和」であっても)見つかるだろう。ここでの「令」は「令嬢」「令夫人」などの敬称にも転じているように、「良い」という意味であることには違いなく(中国文学専攻の専門家によれば、「令」は「吉」と通じ、めでたい意味があるとも言う)、わざわざネガティブな意味に使われる「巧言令色」なる四字熟語を引っ張って来ることもないだろうに、人が悪いなあ、と思ってしまう。さらに本郷教授は、「令旨」が皇太子殿下の命令という意味で、天皇の命令ではない、つまり、「令」という字は皇太子と密接な結びつきがあるもので、天皇と密接な関係があるのは「勅」「宣」などの字であって、(天皇の生前退位で定める)新元号とは少しズレている」とも指摘され、中世史を専門とされる本郷教授の本領発揮と言えるかも知れないが、中国から伝わった慣用の熟語としてそうであっても、私の手元の漢和辞典で「令」自体にそのような意味づけがなされているようには見えない。
もう一つは、CNNテレビが日本在住の米国人大学教員の談話を引用しつつ、昭和と同じ「和」を用いたのは、首相が第二次大戦を「より肯定的」に語る取組みの一環だとし、「日本政治の右傾化を反映している」と評したのは(リベラルなCNNらしいが)極端にしても、新元号の引用元が中国の古典ではなく日本の古典だったことで“脱中国”が図られたことが驚きをもって伝えられ、ひいては安倍首相が保守派に阿ったと、まことしやかに解説される。しかし新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注では、「令月」について、『文選』に収められた張衡の「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」という使用例があることを紹介している通り、たとえ万葉集とは言え(和歌は所謂万葉仮名が初めて使われたとは言え)漢字文化圏から逃れられるものではないのは今さら言うまでもないだろう。思えば、山本五十六提督は、連合艦隊旗艦に他の書籍とともに万葉集を持ち込んだおられたのは、防人の歌があったからだとは思うが、ほんの80年ほど前まで万葉集は身近でかけがえのない存在だったことは事実のようであり、保守派には心に響くエピソードではあろうが。
なにはともあれ、本家本元の中国で前漢の武帝の時代に誕生し清朝を最後に消滅した元号が、日本では今なお使用されるという、地域を超えて伝播する文化の妙を感じる。改元のとき故ではあるが、21世紀の現代にあっても、賛成も反対も、漢字一つの意味をああだこうだと議論するとは、なかなか奥床しい文化だとは言えないだろうか。美人書家として知られる安田舞さんは、「令和」という字をひと目見た時、字の並びがとても綺麗で、美しく洗練された元号だと感じたと語っており、私も同様に素直に喜びたい。
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