「なごり雪」が世に出て50年になるそうだ。
伊勢正三さん(以下、馴々しく正やんと呼ばせて頂く)のインタビューによると、誕生秘話は以下の通りだそうだ。
「なごり雪」は僕の中で確かな手応えがあった。良い曲が出来たぞ。でも最初に「なごり雪」を持って行って聴かせたとき、余り褒めてもらえなかった。あれ、おかしいな…。でも絶対的な自信があったから、締切を一日延ばして貰って、家に帰ってそのまま一晩で作ったのが「22才の別れ」だった。
と言うことは『22才の別れ』からも50年になる。フォークギターを買って最初に覚えるスリーフィンガーの曲だった。これら二曲は、正やんの代表作ベスト3に入る名曲だが、なんと彼が手掛けた最初の二曲だったとは知らなかった。
曲作りについて、次のように語られる。
最初にあったのは、「今 春が来て 君はキレイになった 去年よりずっと キレイになった」という部分。メロディと言葉が同時に、かつ瞬時に浮かんだ。そこからイメージしたのは、こんなシーンだった。東京駅のホーム。二人の若い男女。出発を待つブルートレイン。線路に雪がちらちらと降っている。けれどその雪は積もることはない。
今年最後に降る名残惜しい雪というイメージだそうだ。どうしても『22才の別れ』のイメージと重なってしまい、東京の大学で出会って、束の間の逢瀬を重ね、「ふざけ過ぎた季節の後で」故郷に帰る(そして二度と会うことはないだろう)女性を見送る切なさに満ちて、なんとも愛おしいと、月並みな感傷に浸ってしまう。卒業の季節は別れの季節であり、旅立ちの季節でもある。
実際に、この曲を書いたのは21才の終わり頃だったそうで、正やんによれば、その頃の感性だからこそ出来たものであり、あの瞬間に全てが詰まっており、だから二度と書けない、と語っている。かつてユーミンは天才を自称し、ヒット曲を連発したものだが、さすがのユーミンでも曲想を練るために、深夜のファミレスで若者たちの会話を盗み聴きするようになったと聞いたことがある。私の思い込みでかなりデフォルメされているかもしれないが(笑)、あの頃の感性はもはや取り戻すことが出来ない、かけがえのないものだと、多少なりとも誰しもが思い当たることだろう。それでこうして後世に残る名曲を生み出せるかどうかは問わないにしても。
私の場合は逆パターン・・・「ふざけ過ぎた季節の後で」京都で寂しく見送って、でも私も間もなく就職で上京し、何度か会ったり、手紙を貰ったり、共通の友達と三人で会ったりもしたが、小山の人だったので、いつの間にか疎遠になり、30年振りに会ったときにポツリと「私たちってすれ違ってばかり」と言われて、今更ながらドキリ…
瑞々しい感性は幼さのゆえでもある。もはや恥じらいもない干からびた感性には、たまらなく懐かしくも羨ましくもある(苦笑)。上手く表現するメロディも言葉も生み出せない私は、ただ当時の思い出がまつわる曲に想いを寄せるだけ。
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