風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ボストン美術館展

2012-05-19 23:02:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 都心で朝の3時間ほど空き時間があったので、東京国立博物館140周年特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」に行って来ました。朝一番の9時半に到着すると、既に長蛇の列であることには驚かされましたが、こうした場所にあっては年齢層が高いことには、もう驚きません。私も、大抵のグルーピングで平均年齢を押し上げる層になった自覚はありますが、今日のこの列に並んでいると、若造と思えてしまうくらい、日本の熟年層は元気です。
 今、あらためて思うのは、「至宝」というタイトルに偽りなく、素晴らしいと思いますが、「日本美術」と称して対象のイメージを限定してしまう必要はなかったのではないかと思います。実は原題ではJapanese Masterpieces(傑作、名作、秀作など)と表現されていたものです。Wikipediaでも、「美術」と言えば、代表的なジャンルは絵画や彫刻であり、隣接するものに、イラストレーション、デザインや工芸などの応用美術や、漫画やアニメ、映画などの大衆芸術があると解説されるように、イラストや漫画を「美術」とは一般には思わないからです。
 何故、そう思ったかと言うと、一つは尾形光琳で、切手にもなっている白梅紅梅図や孔雀葵花図で有名ですが、「美術」というジャンルで捉えるならば実は物足りないと思って来ました。ところが、今回、松島図屏風を見て、狭い意味での「美術」ではない、「イラスト」として見れば、実にデザインや色彩感覚に優れていることに気がつきます。この特別展で、「美術」という枠を超えた尾形光琳の素晴らしさを見直すきっかけになったことがひとつ。もう一つは、奇才と紹介された曽我蕭白という画家で、作品には、精緻を凝らした伝統的な水墨画もあれば、明らかに酔いにまかせて(と私が勝手に思っているだけですが)伸びやかでさらりと流したような襖絵(雲龍図)もあり、今風に言えば、漫画家の一面ももっていたと言えなくもありません。こうして、「なんでも鑑定団」を見ていると手入れが大変そうだと敬遠しがちな屏風や襖絵の、単なる「美術」品ではない、デザイン性を再認識したからです。
 やはりオリジナルは素晴らしい。画集などの美術書では、今のテクノロジーによっては、とても表現できないような、色遣いの繊細さ、グラデーションの美しさは、紙や素材のもつ質感と相俟って、オリジナルならではの独特の雰囲気を醸し出します。よくもこれだけの傑作を一堂に会し得たものと感心しますが、解説によると、フェノロサが持ち出した収集品は1千点、ビゲローという資産家に至っては4万1千点にのぼると言いますから、その中から選りすぐりで見応えがあるのは同然とは言え、ボストン美術館は日本の美術品・工芸品の宝庫であることを再認識します。
 会期は6月10日まで。1500円は決して高くありません。
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