引退を予告する報道には半信半疑でしたが、いざそれが現実となると、文字通りのmixed feelings、ちょっと残念ではあります。
相撲は格闘技ではなく伝統芸能だという話は、既に別のブログに書いたので繰り返しません(http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20090203)。私のポイントは、要は、プロレスと違ってショー・ビジネスではないので、ヒールは要らない、横綱の品格は、モンゴル人にも分かるように理解させるべき親方や角界の責任だろう、ということでした。もっとも朝青龍が人の言うことを素直に聞くほどのヤワではないことは、百も承知です。そういう意味で、今回は、角界が朝青龍を寄り切って、面目を保ったというところでしょう。
それにしても、横綱としての品格に欠けた横綱でした。遊牧民族国家モンゴルでは、荒々しい強さにこそ価値があり、白鵬関では大人し過ぎて物足りないということも、別のブログで触れました。しかし子供がそのまま大人になったような“やんちゃさ”があって、帰国して以来、彼の素顔を垣間見させるテレビ番組をちょいちょい見るようになると、ちょっと憎めないキャラだなと思い始めておりました。
今朝の日経新聞「私の履歴書」で、野球少年で、東京の高校から推薦入学の誘いもあった青木功さんが、ある試合で投じた一球がホームスチールを許したばかりに敗戦投手となり、自棄をおこして野球から離れてしまったエピソードを紹介し、「やっぱり、おまえは野球に向いていないよ」と野球の神様がああいう展開にしたのだと語っていました。相撲の神様がいるとすれば、朝青龍に、「やっぱり、おまえは日本の大相撲に向いていないよ」とソッポを向いたのでしょう。貴乃花親方の理事就任と同時期というのが、時代の変化を感じさせます。
もとよりスポーツマンとしての彼の並外れた身体能力や闘争心や負けん気の強さは、誰しも認めるところです。このあたりの事情は、このたび横審委員を辞めた、あの内館牧子さんの言葉に譲りたいと思います。脚本家としての内館さんのことは名前でしか知りませんが、横審委員としての内館さんの発言には全く異論なく、その内館さんをして、スポーツマンとしての彼は150%尊敬できると言わしめました。以って瞑すべし。
相撲は格闘技ではなく伝統芸能だという話は、既に別のブログに書いたので繰り返しません(http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20090203)。私のポイントは、要は、プロレスと違ってショー・ビジネスではないので、ヒールは要らない、横綱の品格は、モンゴル人にも分かるように理解させるべき親方や角界の責任だろう、ということでした。もっとも朝青龍が人の言うことを素直に聞くほどのヤワではないことは、百も承知です。そういう意味で、今回は、角界が朝青龍を寄り切って、面目を保ったというところでしょう。
それにしても、横綱としての品格に欠けた横綱でした。遊牧民族国家モンゴルでは、荒々しい強さにこそ価値があり、白鵬関では大人し過ぎて物足りないということも、別のブログで触れました。しかし子供がそのまま大人になったような“やんちゃさ”があって、帰国して以来、彼の素顔を垣間見させるテレビ番組をちょいちょい見るようになると、ちょっと憎めないキャラだなと思い始めておりました。
今朝の日経新聞「私の履歴書」で、野球少年で、東京の高校から推薦入学の誘いもあった青木功さんが、ある試合で投じた一球がホームスチールを許したばかりに敗戦投手となり、自棄をおこして野球から離れてしまったエピソードを紹介し、「やっぱり、おまえは野球に向いていないよ」と野球の神様がああいう展開にしたのだと語っていました。相撲の神様がいるとすれば、朝青龍に、「やっぱり、おまえは日本の大相撲に向いていないよ」とソッポを向いたのでしょう。貴乃花親方の理事就任と同時期というのが、時代の変化を感じさせます。
もとよりスポーツマンとしての彼の並外れた身体能力や闘争心や負けん気の強さは、誰しも認めるところです。このあたりの事情は、このたび横審委員を辞めた、あの内館牧子さんの言葉に譲りたいと思います。脚本家としての内館さんのことは名前でしか知りませんが、横審委員としての内館さんの発言には全く異論なく、その内館さんをして、スポーツマンとしての彼は150%尊敬できると言わしめました。以って瞑すべし。
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