風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ポスト・モダニズムの迷妄

2014-09-21 00:04:41 | 時事放談
 最近、「国家」の存在をクローズアップさせる事案が続いてます。
 ロシアが、まさに「あっ」という間に、クリミアを一方的に併合してしまう事態が起こりました。意外なことに思われるかも知れませんが、ロシアは、これまで冷戦後の世界で、グルジア紛争にせよコソボ紛争にせよ「現状維持」派で、むしろアメリカをはじめとする西側諸国の方こそ「現状変更」の約束違反をしてきたのでした。今回、ロシアは、ウクライナがロシアの影響下を離れて西側に組み込まれる事態を許さないことを示すために、初めて実力行使による「現状変更」の挙に出たというのが真相で、このあたり、シカゴ大学のミアシャイマー教授は、NATOやEUや西側諸国がウクライナに対してどちらかを選ばせようとした(結果としてNATO拡大を図ろうとした)動きの方を批判しています。
 混乱する中東に突如として現れたイスラム国も、その一つでしょう。今、述べたウクライナの内戦や、イスラエルとハマスの戦闘も、すっかり霞んでしまいました。それどころではないといったところで、東ウクライナでは、欧米諸国が非難してきたロシアの仲裁により停戦合意が成立したほどです。スンニ派以外の異教徒を排撃するこのイスラム国に対して、アメリカはイラクに続きシリアでの空爆も決め、イギリスもフランスも軍事介することにし、ドイツも軍事介入しないものの、イスラム国の攻撃対象になっているクルド族に武器を供与することを決めました。この地では、民主化など夢のまた夢という事態が明らかになって、なお、シリアのアサド政権を叩く事態は止まなかったのですが、シリア政府軍が戦っている相手は実はイスラム国であり、そのイスラム国に既にシリア国土の三分の一を掌握されているとは、何たる皮肉でしょう。
 そして、300年の時を経て、スコットランドの独立是非を問う住民投票が実施されました。自らの運命を自らが決めるというのは、確かに甘い蜜のような夢でしたが、経済的には自立し得ないという現実問題の前に、萎んでしまいました。
 冷戦後の世界は、フランシス・フクシマ氏が「歴史のおわり」で見たように、イデオロギー闘争こそ終焉しましたが、その先にあったのは平和で退屈な世界ではなく、ハンチントン氏が「文明の衝突」で予想した世界に近く、ナショナリズムが勃興する19世紀的な世界に逆戻りしたような様相です。主権国家を超えるべき時代が到来したと予測する「ポスト近代」の考え方は、幻想であることがはっきりしました。ポスト近代論者は、経済のグローバル化が進展する冷戦後の世界は、国家の発展度や成熟度に基づいて「プレ近代」「近代(国民国家)」「ポスト近代」の三つに分類し、その最も進歩した形態として「ポスト近代」を捉えましたが、「これらが混在し、また衝突するような世界では、『ポスト近代』の原理のみでは対応できないのが冷酷な現実であることが露呈した」(袴田茂樹氏、鈴木美勝氏など)のです。
 田中明彦氏は、同じように三分類しながら、「プレ近代」を「混沌圏」(アフリカや旧ソ連諸国)と呼び、「ポスト近代」を「新中世圏」(欧米や日本などのOECD加盟国)と呼んで、「『近代的』な世界システムがグローバリゼーションの進展によって変質しつつあり、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつある」と指摘しました(Wikipedia)。「新中世圏」とは、イデオロギー的には自由主義的・民主制と市場経済が普遍主義的イデオロギーとなり、政治的には国連が権威を象徴しアメリカが権力を代表する「権威と権力の分離」が生じ、「近代以前のヨーロッパ中世に似た世界」を登場させている意ですが、それはともかく、世界の脅威は、戦争を当然の手段とする近代を脱していない「近代圏」の国々や、不安定な「混沌圏」の地域から生まれてくると見ました。
 冷戦時代の二分法が、シンプルで安定していて、懐かしくなるほどです。東アジアには、「近代圏」に分類するのが憚られるような、凡そ欧米的価値観と相容れない大国が、まさに勃興しつつあります。100年どころか300年の歴史の揺り戻し・・・と言うよりも、そもそもこれこそが世界そのものなのだと、冷や水を浴びせられているような感覚です。日本は、江戸という、長らく世界から閉ざされた太平の世の中から、いきなり近代の国家間競争の世界へと引き摺り出され、一見、成功したようでいて、結果として敗戦という大いなる挫折を味わいました。そしてまた、戦後という、国家観が退行した、いわば知的な鎖国状態を続け、アメリカの庇護のもとで(ある意味で幸運な)平和を謳歌しながら経済運営に邁進し、一見、成功したかに見えながら、再び大いなる挫折を味わっている・・・というのが現実ではないでしょうか。それもこれも、日本は、近代以前の世界の混沌の歴史を実感として知らないからではないかと思うのですが、余程、地政学的に賢く立ち回らなければ、日本民族の存続すらも危うい、本当に難しい舵取りを迫られている時代を生きているのだと、最近、つらつら思います。
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