それにしても、「またか・・・」という印象でした。橋下さんの失言癖・放言癖は今に始まったことではありませんので驚きません。時にTPOを弁えないことを抜きにすれば、言っていることの大筋は間違っていないと思っています。むしろ彼の歯に衣着せぬところは、「言わずもがな」の日本にあっては異質で、判で押したような政治家発言が目に余る日本の政界にあっては、こんな人もいたら面白くて良いと、暖かく見守って来ました。では何が問題かと言いますと・・・。
日本のマスコミの多くが、手厳しく批判されてきた橋下さんに対して風当たりが強く、善意で文脈を理解しようとするよりも、言葉尻を捉えてセンセーショナルに書きたて、人権に敏感な欧米メディアも素直に反応したところまでは、想定通りです。そもそも、今回の発言は、歴史認識に関して、安倍さんが腰砕けになったところに遠因があるように思います。案の定、安倍さんをはじめ政治家は、橋下さんの歴史認識についての問題提起には目をつぶり、品格問題にすり替え、中・韓だけでなく米国までも露骨に不満を示した事態に、橋下さんというトカゲの尻尾切りを図ることで早々に逃げの姿勢を見せました。相変わらずの事勿れ主義には辟易します。こうして、歴史認識の議論は、また一つタブーの熨斗が付けられ、政治家やマスコミによって封殺され、自主規制するに如くはないという経験だけが積み重ねられてしまったように感じます。「またか・・・」の真意は、そういった苦々しさにあります。
今回の件で、久しぶりに社説を読み比べてみました。
「公人としての見識と品位が問われる発言」(読売・社説)、「判断力は政治家の重要な資質の一つである。何をいつどこで語るかが日々問われる存在だ。・・・その自覚に欠けていないか」(日経・社説)と追及されても仕方ない状況でした。
そんな中、橋下さんの発言の意を汲みとり、辛うじて歴史認識の見直しにまで言及したのは、予想通り産経新聞と読売新聞だけでした。「慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話には、資料的な根拠もないまま、日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述がある。そうした誤解を招くような記述は、事実を踏まえた見直しが必要だ」(読売・社説)、「河野談話の発表にあたっては、二百数十点に及ぶ公式文書には旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった」(産経・社説)と言い、同時に「裏付けなく発表された談話が、韓国などの反日宣伝を許す要因となっている状況を安倍政権は見直そうとしている。いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、橋下氏の発言が見直しの努力を否定しかねない」(産経・社説)と指摘したころは、否定し得ないところです。しかし「騒ぎがさらに大きくなれば安倍晋三首相の『侵略の定義は定まっていない』などの発言も一体として扱われかねない。米国内の知日派は『日本異質論を誘発する』と懸念する。このままでは日本の国益を損なうおそれがある」(日経・社説)とするのは、分からなくはありませんが、経団連を代表する日経らしい配慮で、配慮し過ぎではないか。
他方、朝日新聞の見方は予想通り対照的でした。「いま日本が慰安婦問題で批判されているのは・・・(注略)・・・慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、『おわびと反省』を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ。戦場での『性』には、きれいごとで割り切れない部分があるのも確かだ。だからこそ当時の状況は詳しくわからないし、文書の証拠も残されていない。それでも、多くの女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことは、元慰安婦たちの数々の証言から否定しようがない」(朝日・社説)。朝日新聞が火を点けた問題であることは、以前、書いた通りで、ここでは触れません。
橋下さんの発言の中で、明らかに誤認している部分もあります。安倍さんが橋下氏の発言を「全く違う」と国会答弁したことに関し「日韓基本条約に基づき、法的に解決済みと言っていることの方が元慰安婦を傷つけている」と批判したところです。地方の首長として、国の対応を理解していないのは仕方ないにしても、主観に基づく軽はずみな発言は控えるべきでしょう。ただ、橋下さんの意図するところ、従軍慰安婦の問題について、日本だけを特別に非難するのがアンフェアだという点を、フェアを重んじる国・アメリカをはじめ、世界に向かって主張する点にあるところは理解できます。慰安婦問題については、国連人権委が1996年に採択した調査報告書で、慰安婦を「軍の性奴隷(sex slave)」と認定し、98年の同委小委員会の報告書では、慰安所を「レイプセンター」などと位置づけました。韓国による政治工作の勝利であり、日本人として素直に反省する方も多いと思いますが、橋下さんのように、何故、日本だけが・・・と悔しさに歯ぎしりする人も多いと思います。
橋下さんの見上げたところは、誤解を招いたところは素直に謝罪しながら、それでも持論は曲げないところです。報道によると、27日に東京で外国特派員協会に対して問題提起し、6月には米国視察で、大阪市と姉妹都市のサンフランシスコなどを訪れ、持論を展開するようです。「(周囲から)『行くのを控えた方がいい』という意見が出たが、米国はそんなに懐が狭い国ではない。批判を受けるかもしれないが、自分の考え方を伝える」と本人は頑張っていますが、脛に傷をもつ諸外国でも、そうであればこそ、そう簡単に乗って来ないでしょう。この問題ばかりは、応援したい気持ちはやまやまですが、オープンな議論には馴染まなくて、韓国がやったように、政治工作で対抗すべきだと思うのですが、さて、どうなりますことやら。くれぐれも無理しませんように。
日本のマスコミの多くが、手厳しく批判されてきた橋下さんに対して風当たりが強く、善意で文脈を理解しようとするよりも、言葉尻を捉えてセンセーショナルに書きたて、人権に敏感な欧米メディアも素直に反応したところまでは、想定通りです。そもそも、今回の発言は、歴史認識に関して、安倍さんが腰砕けになったところに遠因があるように思います。案の定、安倍さんをはじめ政治家は、橋下さんの歴史認識についての問題提起には目をつぶり、品格問題にすり替え、中・韓だけでなく米国までも露骨に不満を示した事態に、橋下さんというトカゲの尻尾切りを図ることで早々に逃げの姿勢を見せました。相変わらずの事勿れ主義には辟易します。こうして、歴史認識の議論は、また一つタブーの熨斗が付けられ、政治家やマスコミによって封殺され、自主規制するに如くはないという経験だけが積み重ねられてしまったように感じます。「またか・・・」の真意は、そういった苦々しさにあります。
今回の件で、久しぶりに社説を読み比べてみました。
「公人としての見識と品位が問われる発言」(読売・社説)、「判断力は政治家の重要な資質の一つである。何をいつどこで語るかが日々問われる存在だ。・・・その自覚に欠けていないか」(日経・社説)と追及されても仕方ない状況でした。
そんな中、橋下さんの発言の意を汲みとり、辛うじて歴史認識の見直しにまで言及したのは、予想通り産経新聞と読売新聞だけでした。「慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話には、資料的な根拠もないまま、日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述がある。そうした誤解を招くような記述は、事実を踏まえた見直しが必要だ」(読売・社説)、「河野談話の発表にあたっては、二百数十点に及ぶ公式文書には旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった」(産経・社説)と言い、同時に「裏付けなく発表された談話が、韓国などの反日宣伝を許す要因となっている状況を安倍政権は見直そうとしている。いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、橋下氏の発言が見直しの努力を否定しかねない」(産経・社説)と指摘したころは、否定し得ないところです。しかし「騒ぎがさらに大きくなれば安倍晋三首相の『侵略の定義は定まっていない』などの発言も一体として扱われかねない。米国内の知日派は『日本異質論を誘発する』と懸念する。このままでは日本の国益を損なうおそれがある」(日経・社説)とするのは、分からなくはありませんが、経団連を代表する日経らしい配慮で、配慮し過ぎではないか。
他方、朝日新聞の見方は予想通り対照的でした。「いま日本が慰安婦問題で批判されているのは・・・(注略)・・・慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、『おわびと反省』を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ。戦場での『性』には、きれいごとで割り切れない部分があるのも確かだ。だからこそ当時の状況は詳しくわからないし、文書の証拠も残されていない。それでも、多くの女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことは、元慰安婦たちの数々の証言から否定しようがない」(朝日・社説)。朝日新聞が火を点けた問題であることは、以前、書いた通りで、ここでは触れません。
橋下さんの発言の中で、明らかに誤認している部分もあります。安倍さんが橋下氏の発言を「全く違う」と国会答弁したことに関し「日韓基本条約に基づき、法的に解決済みと言っていることの方が元慰安婦を傷つけている」と批判したところです。地方の首長として、国の対応を理解していないのは仕方ないにしても、主観に基づく軽はずみな発言は控えるべきでしょう。ただ、橋下さんの意図するところ、従軍慰安婦の問題について、日本だけを特別に非難するのがアンフェアだという点を、フェアを重んじる国・アメリカをはじめ、世界に向かって主張する点にあるところは理解できます。慰安婦問題については、国連人権委が1996年に採択した調査報告書で、慰安婦を「軍の性奴隷(sex slave)」と認定し、98年の同委小委員会の報告書では、慰安所を「レイプセンター」などと位置づけました。韓国による政治工作の勝利であり、日本人として素直に反省する方も多いと思いますが、橋下さんのように、何故、日本だけが・・・と悔しさに歯ぎしりする人も多いと思います。
橋下さんの見上げたところは、誤解を招いたところは素直に謝罪しながら、それでも持論は曲げないところです。報道によると、27日に東京で外国特派員協会に対して問題提起し、6月には米国視察で、大阪市と姉妹都市のサンフランシスコなどを訪れ、持論を展開するようです。「(周囲から)『行くのを控えた方がいい』という意見が出たが、米国はそんなに懐が狭い国ではない。批判を受けるかもしれないが、自分の考え方を伝える」と本人は頑張っていますが、脛に傷をもつ諸外国でも、そうであればこそ、そう簡単に乗って来ないでしょう。この問題ばかりは、応援したい気持ちはやまやまですが、オープンな議論には馴染まなくて、韓国がやったように、政治工作で対抗すべきだと思うのですが、さて、どうなりますことやら。くれぐれも無理しませんように。
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