風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

新冷戦の文脈(後編)マハン

2020-06-16 21:11:05 | 時事放談
 かつてSea Power(海上権力)を唱えたアルフレッド・セイヤー・マハンの著作を読んだとき、その膨張主義にはマルサスの「人口論」やダーウィンの「進化論」が影響を与えているのを感じたことがある。彼は、東西文明の対立についてもあれこれ思考を巡らせていて、現代の米中対立、新冷戦を予言するかのような記述があるのは興味深い。確かに、中国・習近平国家主席の言い分「中華民族の偉大なる復興」を聞いていると、当時、西洋が東洋を支配する根拠としていろいろ考察したことが、今、中国が覇権を唱える不満の源泉になっていることを思わせる。
 以下に彼のエッセイ(120年ほど前のもの)から抜粋する;

「人間界の栄枯盛衰の中で、人類はまさに新時代の開幕に際会しているように筆者には思える。すなわち東洋文明と西洋文明のどちらが地球全体を支配して、その将来をコントロールすることになるか、という重大問題を決定的に解決すべき時機が到来したのである」(「二十世紀への展望」より)
「教化されたキリスト教世界に課せられた偉大な任務――この使命は達成されねばならず、さもなくば滅亡の道しかないのだが――とは、それを取り囲んで圧倒的に人口の大きい種々の古来文明、とりわけ中国、インド、日本の文明を懐柔し、それらをキリスト教文明の理想にまで高めることなのである」(同上)
「19世紀の歴史は、わが西洋文明が東洋の旧文明に対して圧力を絶えず加重していく過程であった。ところが現在では、世界のどの方面に目を向けても、到る所で東洋の旧文明は何世紀もの長眠から覚醒し、おもむろに活動し始めている。まだ完全に目覚めたわけでなく、明確な形もなしていないが、それは本物の覚醒である。また東洋諸国は、その長年の安眠を荒々しく破った西洋文明が、少なくとも二つの点――力および物質的繁栄の点――で自らに優っていることを意識している。そして力と物質的繁栄こそ、宗教的精神に欠ける国々が最も渇望しているものなのである」(同上)
「東洋諸国の側を見ると、数の上では圧倒的な優位が認められる。この億万の大群は今のところ集団的な結合力を欠いているが、それを構成する個人の素養についてみると、自然淘汰の場裏で他人に打ち勝ち適者として生存し続けるための強大な実力を多分に有している」(同上)
「東洋文明と西洋文明とが、何らの共通点も有さない敵対者として相対峙するという結末となるのか、さもなくば、西洋文明が新しい要素――とりわけ中国――を受け容れる結果になるのか、そのいずれかに落着すべき進展は、既に始まっている」(「アジアの問題」より)
「我々はこれまで、この巨大なアジア民族の単に周縁部と接触して来たに過ぎないのだが、この大群を我が西洋文明の中に取り入れ、これまで彼らにとって全く異質であった西洋の精神の中に組み入れることは、今後人類が解決すべき最も重要な問題の一つである・・・(中略)・・・将来これら諸民族、とりわけ中国人が自らの力に覚醒して立ち上がり、西洋の方式や技術の導入により組織化された結果、自らの巨大な人口に見合うだけの影響力の行使を主張して、全体の利益に対する自らの分与を要求し得るようになる将来、という長期的見地からも考慮すべき」(同上)

 長々とした引用になったが、今となっては、西洋人の東洋人に対する優越意識そのもので鼻持ちならないが、同時に、東西の巨大文明の間の将来にわたる衝突を見透しているかのようでもある。当時、多くの人に読まれ、時代精神となった考え方の一つなのだろうと想像される。麻田貞雄氏(歴史学者で、『マハン海上権力論集』の訳者)はマハンのことを、「海軍士官、海軍史家、大海軍主義のイデオローグ、戦略家、大統領の顧問、世界政治の評論家、外交史家、重商主義者、預言者、宗教家」という表の顔を紹介するとともに、「帝国主義者を自任。海外進出のプロパガンディストとして筆を揮い、世紀転換期の膨張政策を正当化するために、一連の時代思潮(社会進化論、アングロサクソン民族優越論、対外的使命感、黄禍論、人種主義、東西文明論など)を時には相矛盾する形で体現する思想家」という裏の顔を付け加えることも忘れていない。
 また、セオドア・ルーズベルトは、マハンが亡くなった翌月のアトランティック誌に次のような弔文を寄せている。因みにマハンは、上院議員ロッジ(外交問題や議会問題担当)とともに、大統領時代のルーズベルトの知恵袋(海外進出や海軍問題担当)だった。

「(マハン大佐は)米海軍史上の有能な一士官に過ぎない。近代兵器の実際の運用に関しては、マハン大佐以上の技能を発揮した士官は少なくない。但し、海軍の必要性を一般大衆に啓蒙したことでは大佐は冠絶している。また大佐は国際問題に関して第一級の政治家としての意見を持っていた唯一の偉大な海軍の書き手であった」(1915年1月 アトランティック誌)

 オマケながら、マハンは1867年、蒸気スループ艦「イロクォイ」号に副長(海軍少佐)として乗り込み、日本を訪問している。そして大坂(今の大阪)沖に到着したとき、大坂城から避難して来た徳川慶喜公が自軍のフリゲート艦で逃げようとして艦を見つけられず、「イロクォイ」号に2時間ほど滞在し、早朝、江戸に引き上げて行く場面に遭遇している。母親宛の手紙には「タイクーン(大君=徳川慶喜)は自ら戦をすることなく、不名誉なことに、大坂から江戸に、自軍のフリゲート艦で逃げようとした・・・(中略)・・・我々はタイクーンを迎える名誉を担った」と記した。
 ハンチントン教授は、日本を一つの文明として認めてくれたが、どの文明圏にも括れない、所詮はちっぽけな周辺文明に過ぎない。かつての冷戦は、米ソという所詮はヨーロッパという、言わば起源を同じくする文明の中での対立だったからこそ相互抑制も可能だったのだろうが、米中の新冷戦は、文明論的には、マハンが描いてから120年と言わず中国にとってはアヘン戦争から180年の時を超えて、周辺文明圏の日本人には思いもつかないような、東西の巨大文明圏の対立が復活した、とでも言うべきなのだろう。双方の秩序観は異なり、妥協はなかなか簡単ではなさそうである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新冷戦の文脈(前編)ダーウィン | トップ | キナ臭い朝鮮半島 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事放談」カテゴリの最新記事