かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

最初の1カ月

2012年04月25日 20時55分32秒 | みゆみゆとの生活
あっという間に。
入学して最初の1か月がもうすぐ終わりそうです。
毎日がパニックで、不安いっぱいだった春休みに比べて、
忙しいけど楽しいこともある、新生活。
特に、毎日学校にそうちゃんと通うことは、なかなか貴重な体験です。

就学を考える時に、
特別支援学校(養護学校)か、地元小学校の特別支援学級かで、随分迷いました。
実は「普通学級」も選択肢としてゼロではありませんでした。

理想と現実、そうちゃんの個性、家庭の事情、将来に向かって何を求めるのか。

たくさん本を読み、いろんな人に相談し、でも最後は夫婦で話し合って決めた、特別支援学級でした。

いろいろな考え方があって、どの考え方も一理ある。
現状と制度を考えると、障害のある子ども個人に、よりよい教育ができる力を持っているのは、間違いなく養護学校です。
高い専門性を持った先生が、たくさんのケースに関わりながらスキルを伸ばし、話し合いを重ねて教育を進めておられます。
設備的にも予算的にも手厚く、個別の配慮や親とのコミュニケーションも丁寧にとられ、親は安心して子供を預けられます。

対極を成す、普通学級。
「地域」そして「福祉とは」を突きつめて考えた時には、「普通学級で障害のある子も共に一緒に学ぶ」ことは、本来あるべき姿、とも言える。
統合保育での実践のように、子ども同士の学び合いの力は、大きい。
お互いの個性を認め合い、「障害を理由に社会から排除されない社会」を作りたいのなら、教育の場でこそ、それを実践していくべきだと思う。

いろんな意味で、中途半端、と言う人もいる、特別支援学級。
ここを選択したことがどういう意味を持つのか、それはずっと先にならないとわからないんだと思う。
でも、今のところ、そうちゃんはここでよかった、と感じています。
高学年2人とそうちゃんの、3人のクラスに、担任の先生と支援員の先生。
そうちゃんに合わせたわかりやすい方法を模索し、教頭先生をはじめたくさんの先生が見守ってくれる。
小学校がはじまる一番混沌とした時期を、刺激の少ない部屋で過ごせて。
先生が個別に説明してくれる中で学んでいけるというのは、なんとも贅沢だとも思えるほどです。

私がそうちゃんの手を引いて学校に行くと、すれ違う子どもたちが質問をしてきます。

「この子、しゃべれないの?」
私「しゃべれるけど、まだ少ししか話せないの。」

「人が話してる時に、なんでしゃべっちゃうの?」
私「人が話してることの意味が、よくわからないからだよ。」
「なんで意味がわからないの?」
私「ゆっくりいろんなことを覚える子で、今6歳だけど中身は3歳なの。だから今はまだほんとに簡単なことしかわからないの。」
「今3歳?いつ6歳になるの?」
私「それがわかるといいんだけどね… でも、いつかはちゃんと6歳になるよ。みんなが6年生になった頃かもしれないけど。」
「ええー!そんなにかかるの

こんな会話が、嬉しい。
子どもたちは、一人ひとり話すとほんとに素直です。
そうちゃんを見たり接したりして、「なんで?」が出ること、これこそそうちゃんが小学校に行く意味だなーなんて、思います

6年間、このまま支援学級に通うのか、
そうちゃん自身の伸びと将来身につけるべき力のことを考えて、どこかで養護学校に行くのか。
はたまた普通学級に挑戦しちゃったりするのか。
どれにも利点と欠点がある。
個人的には、どんなに重い障害のある子も、普通学級に籍を置き、必要に応じて個別対応(特別教室の利用
等)をしつつ、住んでいる地域で周囲に理解されながら暮らしていく、のが理想だと思っています。
でも、なかなかそうもいかない現状もあり、子どもによってもいろいろ、ということもよくわかっているつもり。

先々どうなるかはわからないけど、まずは今、そうちゃんと私が笑顔で学校に通えていることに感謝して。
新しい土地を「耕す」作業、引き続きがんばろうと思います。
明日は初めての授業参観。そのあと学級懇談があるので親御さん達にそうちゃんのことを話してきます。
教頭先生と話したり、学校カウンセラーと話したり…。
少しでも理解者が増えてくれますように。
そしてもちろん、そうちゃんが落ち着いて学校に通え、学校での彼なりの学びがありますように。