かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

ASとADHの強弱と重複

2019年07月26日 18時36分57秒 | みゆみゆとの生活
読書は趣味の一つで。
わりと推理モノか純文学が好きなのだけど。
たまには新書も読む。

「発達障害 生きづらさを抱える少数派の『種族』たち」 本田秀夫 著

ここ10年で、「発達障害」という言葉は世間一般に大きく広まった。
テレビなどのマスメディアでも取り上げられ、著名人が「自分も」と告白するケースも珍しくなくなった。
一方で、概念が広がりすぎて、なんでもかんでも「発達障害」で片づけられてしまい、ただの「レッテル貼り」や何かの「理由付け」に使われているような場面も増えているように思う。
今月発行の「いとしご」(日本自閉症協会会報)でも、「あんこのあまり入ってない最中が増えた感じ」と言われていた方がおり、なるほどその表現がぴったり、と思った。

大体が、発達障害のことを勉強し始めると、自分もそうではないかと思うし周りにもそういう人があふれていると思えてくる。
障害と個性の線引きはどこなのか。
「グレーゾーン」とも呼ばれる人の生きづらさって何から来るのか。

そんな疑問に答えてくれる、本でした。
いろいろうなずけるところはあったのだけど、なるほどと思ったのはこの表。

ADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自閉スペクトラム障害)の強弱や重複を考えてその人を理解した方が、対応が考えやすい。
確かに。
この本では知的障害の重い子のことはほとんど触れていないのだけど、そうちゃんの場合はADHDとASDが両方ともマックス10で、その分、掛け算的に困難さが上がっている気がする。
ただ、診断がついていること、明らかな知的障害があることで、支援の必要性が伝わりやすく、福祉サービスの利用がしやすい。

一方、世の中には「診断がつくほどではないけど2つの特性が重なっている」人、例えば図でいうと「ASは6、ADHは5」という人がいる。
ASDとADHDの最後のD(障害)の部分は外し、AS又はADHと呼ぶ。
この人たちは、特性が目立たない割に生活上の困難さが強い、と著者はいう。
なるほど。わかる。

どちらか片方だけの特性を持っている人は、対応がわかりやすい。
ASの傾向が単独で強いが障害まではいかない人は、几帳面で融通が利かない反面、「そういうタイプの人」と周囲が理解し対応すればまじめで裏表がなく付き合いやすい。
ADHタイプの人はしょっちゅう物をなくしたりルーズだったりするけど、社交的で憎めない性格の人が多い。
これが、
不注意で失敗ばかりする上に自分の独自の理論を曲げず人の提案を聞き入れない、唐突に思い込みだけで行動して人が本気で困っていても気づかない、となると、本人も周りも困ることが多いだろう。

著者は、自分はADHが3でASが4程度、と言っておられた。
私自身は、ADHが4でASが1くらいかなーと思う。
思いついたらすぐに動き、注意散漫で人の顔が憶えられず、忘れ物が多い。
時間感覚がギリギリなのでたまに遅れる。
人見知りで対人緊張はやや高め。
けどなんとか社会に適応はしてる。(と思う。)
だだし、これはあくまでも自己評価であって、周りの人から見れば全く違う風に映っている可能性もあるのよね。

「ふつう」の枠が狭い社会はどんな人にとっても生きづらい。
いろんなことを考えさせられる本でした。

「〇〇が苦手」と欠損として捉えるより、「〇〇よりも〇〇を優先させる」というように「選好性の偏り」と捉えた方が自然。

そんな表現に、特性を持つ人に対する温かいまなざしを感じた。
本田先生、よく精神科系の医学雑誌でお名前を見かけてたけれど、今回改めてとっても素敵な先生だな、と思った。
親や当事者の気持ちがわかるドクター。
不思議とそうちゃんが2歳の時からずっとかかってきた精神科の先生のことを思い出したよ。
きっと、似てる気がする。
お医者様なのに文系の匂いがする、二人の先生。