想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

邂逅の時

2010年11月17日 | インポート

 

 「谷川俊太郎に聞く」という会があり、念願の氏と出会う時が来た。前々からその時を願っていたが、やっと、実現した。質問の時が最後にあり、著作権の問題で質問したが、どうぞ、ご自由にやってください。という話だった。その後、楽屋で短い時間であるがお話する機会を得て、その詩に曲をつけ登録してもいいですよ。と、いう許可をもらった。
 実は不遜にも現職時代、彼の詩に曲をつけ、子供たちとよく歌っていた。この詩は確か2年の国語の教科書に載っていたのだと思う。ここでは音読し、詩の解釈を求める学習であったが、前々から私の中で歌を歌うことも詩を朗読することも詰まるところ同じではないかという考えがあった。山田耕筰は日本語の高低アクセントをとらえある曲を作ったという。
 私は昔、言葉に興味を持った時期があり、その延長に朗読を勉強したことがあった。言葉は言霊であり、言葉に感情を移入する癖を早くから持てば、国語の解釈も感性で捉えられるのではないかという考えもあり、低学年のうちから朗読の仕方を重視した実践をしてきたつもりである。お経もある意味音楽であるという考えも持っていた。
 教材研究でその詩を何度も読んでいるうちに必然的に曲が浮かんできた。言葉と曲が私の中でマッチしたのだ。クラスの子供たちと歌った。子供たちの反応もよかった。それで、前々から谷川氏にお会いできればと願ってきた。それが、やっとかなうことになり、次のステップに進めていけたらと今考えている。
 

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