想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

東北地方太平洋沖地震

2011年03月17日 | インポート

東北地方太平洋沖地震ともいわれている東日本大震災。今回は地震ばかりでなく、津波の持つエネルギーの大きさに驚嘆した。
  思い出したのが、阪神大震災である。あの時は1月17日の未明に起こったと記憶しているが、まだ、2,3年前のように感じる。あの時も、それまでの地震といえば、関東大震災を思い浮かべていたが、阪神大震災は近代都市型災害でインフラの大切さがいわれていた。そして、地震で倒壊した家屋も多かったが、火災でなくなった人も沢山いたと思う。
  それが、起こるしばらく前に地区の防災委員をしていて、まさか、あんなタイプの地震が起こるなんて想像だにしなかった。防火用水がことごとくやられていたことを思い出す。
  地震はいつもはじめは大した地震じゃないと思っていても、段々その規模が大きくなっていく。阪神大震災の時もテレビで見ていて大したことはないのではと思っていたが、あんな規模に拡大したことが信じられないくらいだった。
  今回もそうだが、まさかあんな大きな津波が来るなんて誰一人想像した人があったのだろうか。まさにマグネチュード9.0の巨大地震だった。東西500Km南北200Kmの地盤が太平洋で動いたらしいからたまらない。
  また、今回は想定外の波で原子力発電所が破壊されてしまい、これも想定外のできごととなってしまった。事故というものは、想定外のことが起こり発生するものなのだ。実をいうと、地震の2,3日前に地元の浜岡原発の社員が地区の自治会長の集まりにきて、浜岡原発の安全性についてお話をして帰った。あのとき、よっぽど、想定外のことが起こって大震災になるので、そのことをどう考えているのかと、質問をしようかと思ったぐらいだった。浜岡原発でも今は、大変な騒ぎになっているだろう。<o:p></o:p>

 さて、そんなさなか、今日小笠北幼稚園で卒園式が開かれ社会教育委員として出席した。少子化時代といわれ、子どもの人数が減少しているなと感ぜずにはいられなかった。<o:p></o:p>

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その子たちの将来を考えながら…、そういえば、母が亡くなったのが64歳、兄が心肺停止で植物人間になったのが、64歳、私といえば、後、1ヶ月で64歳になるではないか。随分年をとったなと思わずにはいられなかった。そのとき思い出したのが、洞爺丸事件だった。初めて新聞に少し興味を抱き始めた時だった。海岸に数千人の遺体がうち上がっていた内容だったとおもう。また、第五福竜丸が太平洋で放射能を浴びた事件もあった。
 この年になると、段々行く末が短くなり寂しくなるのは私だけだろうか。健康がこの先第一である。足腰を鍛えるべく一日一万歩を心がけている<o:p></o:p>

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コメント
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