想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

変えられる物とそうでない物

2011年09月07日 | インポート

変えられる物とそうでない物

ちょっと、止まって人生を考えてみたい。

人にはすぐ変えることができることと、できないことがある。

①<誰でも変えることのできないこと>

過去に起こったできごと(歴史)、気象などの自然現象、この世に自分が生まれたこと、

親子などの血縁関係

②<条件が満たされれば変えることのできること>

 経済的な問題、能力、家族の協力等、婚姻養子関係、家の建て替え、住居の移転、学校の選択、職業の選択、所有物、地位、名誉、海外旅行に行く

③<誰でもすぐできること>
 実際は精神が柔軟性に満ちてないとできないことが多いのだが…。

心の持ちよう、体を動かすこと、勉強、身の回りのこと、炊事洗濯

実際は凡人にとり、できるようでなかなかできないのが、③<誰でもすぐできること>である。

③は簡単にできるようであるが、囚われてしまって、それから逃れられないのがまた、煩悩を持つ人間の性でもある。

 今までの自分は変えられるものではない。これを救うには仏様の心に寄り添うしかないのかも分からない。心を無にして自分を見つめる。いわゆるとらわれの心をすてさるのだ。心の修養を積むしかないのである。70にして己の欲するところにおいて法(のり)を超えずといった孔子の境地になることだろうか。

では、変えられることが、難しい、できない。と、悟ったらどうしたらいいのだろうか。

そうだ、すべてを受け入れ、変えられないことに不満を言わず感謝することである。最近、この感謝することを忘れた人間が実に多くなってきている。感謝を後ろ向きにとらえ、その中から創造性は生まれないと思っている人がいる。いや、感謝しつつその良さを引き出し創造につなげて行くことが賢者の目指すところである。過ぎたことを悔やんだり嘆いたりしてもその過去は戻ってこない。なら、笑っても一日怒っても一日である。笑って過ごした方が得策であるに決まっている。自分でどうしようもないことは受け入れ、それに感謝する生活こそ明日の創造的なエネルギーに繋がる生活になる。幸せの女神はいつも前向きに生きる人にほほえむのだ。
 人間長く生きても、たかが100歳ではないか。その後の黄泉の世界は永遠に続くのだ。

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台風一過

2011年09月06日 | インポート

 恒例の朝のウォーキング、今日は、まさに台風一過だった。外に出てきてよかった。こんなに気持ちのいい朝も珍しいな。さわやかなかぜに吹かれながら遠く赤石連山を眺め、また、上を向けば秋の雲がいっぱい、全て自然は諸行無常にうつろって行くのだなと感じた。立秋もいつしか過ぎ早番涼しさを増して来るだろう。
 今回の台風は今まで経験したことのない遅い速度、カタツムリのようだ。

カタツムリと言えば、随分昔子どもの頃のカタツムリが見られなくてがっかりしていたが、ここ、菊川にはまだ、まだ、昔の種類のカタツムリが沢山見られる。もう、5,6匹ぐらい見ただろうか。そのたび、子どもの頃の頭に切り替わる。子どもの頃は意識せずに自然といつも関わっていた生活をしていたのだと思う。

  コミュニティの仕事に携わってから早1年と半年が過ぎようとしている。きのうも、8:15~17:00迄の勤務を終え、足早に夕食をすませ、18:45には職場に着き会議の準備をし、19:00~最大のイベントである会館祭りの会議に出席した。地区の役員が20人ほど集まってのわいわいがやがやの会議である。12月実施に向けて計画を話し合った。ぼけている暇のない仕事である。

 

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