前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

いよいよ本日、さよなら原発福井県集会が敦賀市で開催されます。

2012年03月11日 | Weblog
      いよいよ本日、さよなら原発福井県集会が敦賀市で開催されます。

福井県民のみなさん、福井の原発をなくしたいと思っていらっしゃるみなさん、大飯原発再稼働はいやだと思っておられるみなさん、・・・集まりましょう!

会場は敦賀市東洋町にあるプラザ万象です。JR敦賀駅から徒歩10分程度です。

正午からプレ企画で演劇の上演。福島県からの報告などをおこなう集会は午後1時半からです。

集会は4時ごろに終わります。その後、市民行進をおこないます。あたたかくしてご参加ください。

くわしくは集会のブログで  ⇒  http://goodbyenppfmt.blog.fc2.com/



      集会には「原発NO!の国会議員を北信越から」と奮闘中の日本共産党衆院比例予定候補・藤野やすふみさんも参加します。激励お願いします!

活動は藤野さんのブログで  ⇒  http://fujino.jcpweb.net/



     集会成功へ各界からメッセージが寄せられています。

●安齋 育郎さん(安齋科学平和事務所長)
ごくろうさまです。小生あまりに多忙で実質的には何のお手伝いもできませんが、心一つに応援致します。巻き返しの反動に負けず1人1人の声を!

●作曲家 池辺晋一郎さん
福島原発事故の後原発をすべて廃止したドイツは、その後風力や太陽光発電で十分電力を賄うどころか、輸出もしています。日本は事故の当局でありながら、だらしなさすぎます。地球は私たちのふるさと。ふるさとを守らなければ。

●林 京子さん (作家)
「3.11さよなら原発福井県集会」のご通知いただきました。全面的に賛成いたします。私は長崎の被爆者ですが、広島、長崎の被爆者達が、戦後どれだけの苦渋をのんで綻びた心身を繕い、我が子への遺伝子による障害を怖れながら生きてきたか・・。福島原発事故がおこったその直前まで、「被爆国」である日本・日本人は核の恐怖を認識しているものと、6日9日の根と、原発の危険の根はイコールであると承知しているものと勝手に考えていました。私はささやかな物書きですが、イコールの線上にある被曝者として・8月9日・その日から今日までの友人や被爆者の人生を綴ってきました。多くの友人が被曝に因した病で倒れ、原爆症・9日との因果関係は不明として子供たちを遺して逝きました。「内部被曝」・核物質のこわさはここにあります。核の制御を完全に人間が掌中にしたその時まで、原発の安全性はないと素人考えですが、私は考えています。電力が不足であるならば耐えることが必要です。子どもや孫にこれから生きる命のために、大切な時に至ると思います。併せてフクシマ原発のキケン地域に住まわれている方、被曝の危険の方に援助と定期的な健康診断の「約束」を国に働きかけてください。私たち被爆者は「健康手帖」と申請し、持参しています。2度とあってはならない事故ですが、また、「役にたって欲しくない手帖」ですが、核と人間の問題、かかわりは、それほど軽々なものではないという被曝者としての人生観です。個人的な思いをお伝えしたくてペンを執利ました。貧者の一灯です。お許し下さい。

●山崎 朋子さん   女性史・ノンフィクション作家 
「反原発」に寄せる皆様の持続する意志と行動に敬意を表し、東京から参加いたします。東京新聞で見た西川知事の慎重な態度も期待してます。


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毎日・・・支局長からの手紙:3・11後の福井 その5 /福井

 東日本大震災から、明後日で1年となります。私の記者生活の中でそれまで最大の惨事であった阪神大震災から今年で17年がたちますが、そのこともまだ頭の中で整理がつかず、どんな感想を持てばいいのか本当はよくわかりません。それでもつくづく思うのは、まだまだ人間の力の及ばないものがあり、自然には謙虚に向き合わなければならないということです。

 この時代に生きて、人間が万能なつもりになりがちです。ところが、二つの大震災で自然の力を思い知らされました。

 阪神大震災の現場で見て忘れられないのは、横倒しになった高速道路やオフィスビルです。街を埋め尽くすコンクリートの建造物群は、繁栄の証しでした。では、どうしたらいいのか。都市の耐震化という対策も重要ですが、その方向で努力しても、さらに大きな地震が発生する可能性がやはりある。費用の面からも限界がありますから、都市への人口集中はある程度にしておくのが、被害を一定にとどめる知恵ではないだろうか。当時、現場を歩いてそう思いました。

 ところが、少し時間がたつと、ああいうことは二度とないだろうと都合よく考えるようになっている。そこへ東日本大震災が発生しました。生中継のテレビ画面に、我を忘れてくぎ付けになりました。まるで、今まで見たことがないものに驚がくするように……。もちろん阪神大震災より大きく、大津波を伴った点で違った。被害の態様も異なる。それでも、その時の自分の中には阪神大震災の記憶が失われかけていたと思うのです。同じ地震ですから、阪神大震災の延長線上にあったはずです。

 東日本大震災発生で引き起こされた福島第1原発の事故では、この反省がさらに重い意味を持ちます。大惨事を引き起こす可能性がある原発では、どうあっても大地震に備えていなければならないのは当然です。ところが、「想定外」などという無責任な言葉が、当事者から飛び出してくる始末だった。その後、事前に地震の専門家から警戒を求める声があったのに、耳を貸さなかったことも明らかになっています。

 さらに、前段のようなことは論外として、人間が自然に対して万全に備えられるのかという問題へ進むと、原発そのものの是非が問われることとなります。今後の慎重な議論に結論を委ねたいと思いますが、仮に原発が現在の日本に欠かせないものだとしても、その危険性からは必要最小限であるべきでしょう。

 前々回のこの欄で考えましたが、東日本大震災後に原発は再稼働できず、現状では国内54基中2基しか動いていない。それでも、日本はなんとかやっている。とすると、なぜ54基も必要だったかと思わないわけにはいきません。

 あれから1年。私たちは惨事の記憶をどの程度、風化させずにいるのか。人間の記憶は薄れていくものだとしても、繰り返さないために忘れてはならないという決意に揺るぎはないか。私としては、そんなことが問われているように思うのです。国内最多の原発14基を抱える福井県では、より切実なことです。=この項、終了【福井支局長 戸田栄】・・・・・



      このような議論を県民的におこなうことが今、つよく求められていると思います。

国民、県民の議論に耳を傾けるでもなく、政府は大飯原発の再稼働に傾斜しています。福井県も直接、県民との対話をきちんとおこなうでもなく、国に決断を求めているようです。

  ある自民党県議は「大飯が洗礼を受けなければ」と発言し、別の自民党県議は「太鼓はたたいた」と保安院の説明を表現していましたが、先の保安院の説明会開催のごり押しといい、昔と変わらぬ「原発前のめり」と映ります。

     3.11福島事故を繰り返さない。県民の命と財産を守り抜く。・・・地方自治体と議会にとって真価が問われる局面です。

  地震の専門家も「阪神大震災から地震の活動期に入ったと思われるが、あと20年前後つづくだろう」と発言しています。福井をはじめ全国の原発建設時期は「地震の静穏期」だったから問題が浮き彫りになりませんでした。

 とりわけ取り返しのつかない事故リスクをかかえた原発。安全の側に政策をとる、ということが必要だと考えます。