三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、(略)。ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色いろ、なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて、百千鳥のさへづりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、陵王の舞ひ手急になるほどの末つ方の楽、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人の脱ぎかけたるものの色いろなども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。
(源氏物語・御法~バージニア大学HPより)
同じ比ほひの十日宵に、一品の宮に、参りあひて、「今宵なんど、さりぬべき」と聞ゆれば、「さらば、いかゞはせん。いと、かう物むつかしき心も慰みやする」と、そなたざまへ、やらせ給ても、薄く霞に漏りたる月影、さやかにはあらぬしも、いとゞ心細げなる空の気色を、道すがら眺め給ても、(略)築地所々くづれて、花の梢どもおもしろく見入れらるゝ所あり。道季召して、「いかなる人の住みかぞ」と問ひ給へば、「故式部卿宮に候ふ。宰相中将もこゝになんおはする」と申せば、今少し御心とまりて、近うやりよせて見給へば、門はさしてけり。風に従ひて、柳の糸起き臥し乱るゝに、花の梢も見るまゝに残り少なげになるは、いと見捨て難きに、琵琶、筝の琴など弾き合せてぞ遊ぶなる有様も、ゆかしきわたりなれば、下り給て、くづれよりやをら入給ひて、琴の声する方にやをら尋ね寄り給へれば、寝殿の南面の階隠(はしがくし)の間、一間ばかりあけて、人あるなるべし。近き透垣のつらによりて、聞き給へば、琵琶はこゝの御簾のもとにて弾くなり。筝の琴は奥の方にぞ聞ゆる。(略)
(狭衣物語~岩波・日本古典文学大系)
その故とも思ひわかぬものから、あまり心に染(し)む御さまも、果て果てはあいなければ、御前の勾欄におしかかりて、花の残りなく散るをつくづくとながめたまへる夕映ぞ、なほ類(たぐひ)なきや。
雲居吹く風の心にさそはれて思はぬ方(かた)に馴るる花かな
三月の十日なれば、夕月夜ほのかに霞み渡りて、すずろに心づくしなる雲のけしきを、そこはかとなくながめそめられては、とみにも動かれたまはず。
(我身にたどる姫君~桜楓社)
かくて、年いと遅き年にて、三月上の十日ばかり、花盛りなり。嵯峨の院、花の宴聞こしめさむとて、造りしつらはせたまふ。(略)
花誘ふ風ゆるに吹ける夕暮れに、花雪のごとく降れるに、大将、詩奉りに、胡籙負ひて、冠に花雪のごとく散りて、「右の近き衛りの府の大将藤原仲忠」と申したまふ声、いと高う厳めし。嵯峨の院、「よき講師の試みの声なりや」とて笑はせたまへど、つれなくて入りぬ。詩みな奉りはべれば、文題取らせたまひて読ませたまふ。大将参らせたまひて、読み申したまへば、帝たちよりはじめてみな見たまふ。(略)大将の詩を、みな帝たち誦じたまふ。かはらけ参る。新中納言、いみじう褒めらる。右大弁、かはらけ参る。
かくて、御遊び始まりて、朱雀院、「老いせる春を弄ぶ」と、歌の題に書かせたまひて、嵯峨の院に奉りたまへば、御かはらけ取りて、内裏の帝に奉りたまふとて、
春来れば髪さへ白くなる花に今年は君も雪ぞ降る
(略)
左のおとど、
元結に花結べりと見ゆるまで見れどもかかる春の花かな
右の大殿、
散りぬとて手ごとに折れば桜花髪さへ白くなりまさるかな
(略)
源中納言、
花の色は盛りに見えて年ごとに春のいくたび老いをしつらむ
(略)
なんどて、御かはらけ度々になりぬ。
御時よきほどにて、御遊び盛りて、大将、源中納言などに箏の琴賜ひて、みな人々もものの音仕うまつり合はせて、順の舞し、歌歌ひ、猿楽せぬはなし。
(宇津保物語・国譲・下~新編日本古典文学全集)
寛治七年三月十日、白河院北山の花御覧しにおはしましたりける日、処々尋花といへる心をよませ給うけるに 贈左大臣(長実)
たつねつゝけふみさりせは桜花ちりにけりとやよそにきかまし
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
寛治七年三月十日、白河院北山の花御覧しにおはしましける日、処々尋花といへる心をよませ給うけるに 久我太政大臣
山桜かたもさためすたつぬれは花よりさきにちる心かな
右衛門督基忠
春はたゝゆかれぬ里そなかりける花の梢をしるへにはして
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
白河院、法勝寺におはしまして、花を御覧じて、常行堂の前にて、人びと鞠つかうまつりけるに、殿より随身公種して、まりをたてまつり給ひて、
山桜たづぬときけどさそはれぬ老のこゝろのあくがるゝかな
御返し
山ふかくたづねにはこで桜花何かこゝろをあくがらすらん
(「續古事談」おうふう)
三月十日余(あまり)の事なれば、春も既(すで)に晩なんとす。遠山の花色、残雪かと疑れ、越路に帰る雁金、雲井に名のる音すごし。さらぬだに習に霞春の空、落涙に掻暮て、行さきも不見けり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)
比は三月十日余(あまり)の事なれば、尾上に懸る白雲は、残の雪かと疑れ、礒吹風に立波は、旅の袖をぞ濡しける。きやうけいのうかれ声おしあけ方に成しかば、八重立霞のひまより、御船汀(みぎは)に押寄たり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)