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古典の季節表現 三月中午日 石清水八幡宮臨時祭

2013年03月13日 | 日本古典文学-春

朱雀院御時、石清水の臨時祭をはしめてをこなはせ給ふとてめされけるうた 紀貫之
松もおひまたも苔むす石清水行すゑとをくつかへまつらん
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

朱雀院御宇天慶二年、将門純友が謀叛の時、其祈に八幡の臨時祭は始れり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

九日、臨時祭なり。使にまゐる。花もさかりなるに風すこし吹きて、散りまがふ花の下に、舞人ども繪に書きたらむやうなり。立ち舞ふ袖の氣色、神垣も思ひやられて、
待ちえたる御世の初に咲きにほふ花のかざしをいかが見るらむ
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

泥絵屏風、石清水臨時祭 権中納言定家
ちりもせし衣にすれるさゝ竹の大宮人のかさすさくらは
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

いはし水そでの山井に月さえて神代にすめる明星(あかほし)のこゑ
(「藤原定家全歌集」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)

 四位しはへりてのちの春石清水の臨時の祭の日内裏の事はてゝ舞人ともきたの陣にいてゝ侍りけるほとにあふきにかきて侍従家隆か許につかはしける 左近衛少将藤原定家朝臣
立帰り猶そ恋しきつらねこしけふのみつのゝ山あゐのそて
 かへし 侍従藤原家隆
やまあゐのしほれ果ぬる色なからつらねし袖の名残はかりそ
(玄玉和歌集~群書類従10)

石清水の臨時祭を 前大納言師重
九重のけふの挿頭の桜花神もむかしの春は忘れし
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

後深草院御時、石清水臨時祭の日、さくら山吹なとみかは水にうかひたるを御覧して、歌よめとおほせこと有けれは 後深草院少将内侍
行水になかるゝ花のいろいろを我かさしとはたれかみる覧
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

廿日は、りんじのまつりの御馬御覽なり。さきざきはたゞめぶがひきわたしたるばかりにて有りしに、御隨身かねみねに、あけさせて御覽ぜし、いとおもしろし。公卿はまでのこうぢの大納言ぞ候ひ給ひし。けづけ、中將すゑざね。庭の月かげいとおもしろくて、辨内侍、
なにしおふ月げの駒のかげまでも雲ゐはさぞとみえ渡る哉
(弁内侍日記~群書類從)

十日おほやけは八幡のまつりのことゝのゝしる。我はひとのまうづめるところあめるにいとしのびていでたるに、ひるつかたかへりたればあるじのわかき人々「いかでものみん、まだわたらざなり」とあればかへりたるく るまもやがていだしたつ。又の日かへさみんとひとびとのさわぐにも心ちいとあしうてふしくらさるればみん心ちなきに、これかれそゝのかせばびらうひとつに四人許のりていでたり。冷泉院のみかどのきたのかたにたてり。こと人おほくもみざりければ人ひとり人ごゝちしてたてれば、と許ありてわたる人わがおもふべき人もべいじゆうひとりまひ人にひとりまじりたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

おほやけにはれいのそのころ八幡のまつりになりぬ。つれづれなるをとてしのびやかにたてれば、ことにはなやかにていみじうおひちらすものく、たれならむとみれば御せんどもの中にれいみゆる人などあり。さなりけりとおもひてみるにもまして我がみいとはしき心ちす。すだれまきあげ、したすだれおしはさみたればおぼつかなきこともなし。このくるまを見つけてふとあふぎをさしかくしてわたりぬ。御文あり。かへりごとのはしに「昨日はいとまばゆくてわたりたまひにきとかたるは、などかはさはせでぞなりけん、わかわかしう」とかきたりけり。かへりごとには「老いのはづかしさにこそありけめ、まばゆきさまにみなしけん人こそにくけれ」などぞある。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

おなし御時、藤原隆信朝臣殿上のそかれて侍けるつきの年の春、臨時祭舞人にて参り侍けるに、南殿の桜のさかりなりける枝につけて、「忘るなよなれし雲ゐの桜花うき身は春のよそになるとも」と女房の中に申侍ける返し 読人しらす
思はさりし身こそ雲ゐのよそならめ馴にし花は忘れしもせし
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

石清水臨時祭の舞人にて、立やとりける家のあるし、又こん春も侍へきよしいひけれは、思ふ心や有けん 藤原定長
又もこん春とはえこそいはし水立まふこともありかたき世に
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 三月十三日、八幡の臨時の祭なり。申の時にはじまる。女院御方、仁寿殿にて御覧ぜらる。御木丁出(いだ)さる。清涼殿、二間の中開けあはせて女房達見る。使、堀川宰相中将、舞人陪従、常のごとし。時刻五竜也。公卿、三条大納言・西園寺大納言殿・殿大納言殿・師中納言・徳大寺中納言・富小路宰相中将など也。(略)夜に入て北陣渡る。内御方・女院、黒戸より御覧ぜらる。一の舞人馬にひかれて京極面(おもて)の程にて落ぬとぞ聞(きこ)えし。徳大寺・堀川、御前に候。所どころより参れる花、御溝水に流(なが)さる。夜に入まで流るゝさまも面白かりき。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51中世日記紀行集)

(承元二年三月)十三日(壬午)。天晴る。臨時祭なり。所労猶尋常ならずと雖も、大将殿指して仰せ有り。仍て未斜、京極殿に参ず。小時にして、御共して参内す。(略)主上出でおはします。御贖物を供す。宣房・宮主参入等、例の如し。頭中将、此の間年中行事の障子南の辺りに在りて行事す。使、左中将国通朝臣(巡方の魚袋、紫緂の平緒)着座す。舞人三人、御馬を引く。少納言信定・侍従資宗行事す。蔵人御禊了んぬ。宮主退出す。御馬を幔の外に引き出し、歌笛を発す。使進みて跪き、笏を搢み、立ちて御幣を取り、北の案の第一第三、南の第二に之を持ちて立つ。御拝。使、幣を置きて退出。上卿宣命を奏し、返し給ふ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建仁元年三月)廿日。天晴る。石清水臨時祭の日なり。有通少将の子、中務権大輔、舞人を勤仕す。扶持するため、白地(あからさま)に京を出づべきの由、夜前之を称す。五位少将の子の舞人、頗る目を驚かすか。午の時許りに参上。人々又祗候す。例の如くに饌あり。但し余・具親著かず。人招請せず。又推参せず。出御ありておはします。遊女著座し、郢曲せず退下す。今夜、白拍子合せ有るべし。申の時許りに退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

コメント (3)
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