弥生の二十日あまりのころほひ、春の御前のありさま、常よりことに尽くして匂ふ花の色、鳥の声、ほかの里には、まだ古りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人々のはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせたまひける、急ぎ装束かせたまひて、下ろし始めさせたまふ日は、雅楽寮の人召して、舟の楽せらる。親王たち上達部など、あまた参りたまへり。
(略)こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬ匂ひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほ笑み、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。まして池の水に影を写したる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもを食ひて飛びちがふ、鴛鴦の波の綾に紋を交じへたるなど、ものの絵やうにも描き取らまほしき、まことに斧の柄も朽たいつべう思ひつつ、日を暮らす。(略)
南の御前の山際より漕ぎ出でて、御前に出づるほど、風吹きて、瓶の桜すこしうち散りまがふ。いとうららかに晴れて、霞の間より立ち出でたるは、いとあはれになまめきて見ゆ。
(源氏物語・胡蝶~バージニア大学HPより)
六条院にて、池に舟浮けて、女房あまた乗りて遊び侍りける中に よみ人知らず源氏
春の日のうららにさして行く舟は棹の滴に花ぞ散りける
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
三月二十日あまり、南殿の桜盛りなるに、清涼殿の南面に、花御覧ずるついでに、御遊びあり。女ばらの中には、中納言の典侍、宰相、小弁、侍従、命婦など、おのおの心を尽くしたるものの音(ね)どもなり。内裏(うち)も御耳いつかしく、おとどさへおはすれば、「手触れにくし」とやすらへども、掻き給ふに、殿の左大将、御子の頭の中将、中宮の亮などおはします。右大将のおとどよ。昔の人々の子ども、おのおの、とりどりに、横笛・笙の笛など吹き給ふ。いと面白き世の御遊びなり。
(雫ににごる~「中世王朝物語全集11」笠間書院)
やよひの二十日ごろ、冷泉院の中宮、后に立たせ給ひけるに、池の中島の藤、松にかかりてなべてならぬに、これかれ歌よみ侍りけるに 袖ぬらすの源中納言
松風も枝を鳴らさぬ宿なればかかれる藤の陰ぞのどけき
うちのおとど
かげさへぞなべては見えぬ紫の雲立ち添へる池の藤波
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木だち物ふりて、 庭に散りしをれたる花、見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろし て淋しげなるに、東にむきて妻戸のよきほどにあきたる、御簾のやぶれより見れば、 かたちきよげなる男の、とし廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝのどやかなる さまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。
いかなる人なりけん、たづねきかまほし。
(徒然草~バージニア大学HPより)
天暦三年三月つこもりの日文人めして花も鳥も春のをくりすといふ心を詩につくらせ給にやかてやまと歌ひとつそへてまいらせよとおほせられしに
櫻花のとけき春の雨にこそふかきにほひもあらはれにけれ
(高光集~群書類従14)
三月のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、(略)
(略)後への山に立ち出でて、京の方を見たまふ。はるかに霞みわたりて、四方の梢そこはかとなう煙りわたれる(略)
明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。名も知らぬ木草の花ども、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、めづ らしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。
(源氏物語・若紫~バージニア大学HPより)
三月晦方に、散り果て方なる枝につけて、人に
散りにしは見にもや来ると桜花風にもあてで惜しみしものを
(和泉式部集~岩波文庫)
弘長百首歌に 前大納言為氏
来てみんといひしはかりにうつろひぬ弥生の花の春の暮かた
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
三月二十日、夜(よ)雨ふる。中宮大夫殿神樂をうそぶき給ひて、「蕭々たる暗き雨の窓を打つ聲」とくちずさみ給ふ。繪物語に書きたらむことを聞くやうにて、おもしろし。雨風も共にはげしければ、
物ごとにあはれすすむるけしきにて秋とおぼゆる雨のおとかな
あくる日、清凉殿の方に、大納言殿へ御ともに、三人出でて見れば、雨風に花はあとかたなく散りて、簀子に白く散りたり。
夜とともの雨と風とにしをられて軒端のさくら散り果てにけり
大納言殿、
をりしもあれ花散るころの雨風ようたても春のすゑに降りぬる
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)
題しらす 権大納言公実
山桜春のかたみにたつぬれはみる人なしに花そちりける
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
春の暮の歌 入道前太政大臣
白雲にまかへし花は跡もなし弥生の月そ空に残れる
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
はなのいろはやよひのそらにうつろひてつきそつれなきありあけのやま
(秋篠月清集~日文研HPより)
春の歌の中に 藤原教兼朝臣
花の後も春のなさけは残りけり有明かすむしのゝめの空
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
はるもはやあはれいくよにありあけのつきかけほそきよこくものそら
(延文百首~日文研HPより)
光明峰寺入道前摂政、内大臣のときの百首に、暮春を 前中納言定家
春はたゝかすむはかりの山のはに暁かけて月いつるころ
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
三月二十日あまりのほどになむ、都を離れたまひける。(略)
明けぬれば、夜深う出でたまふに、有明の月いとをかし。花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづ かなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり。
(源氏物語・須磨~バージニア大学HPより)
都を出て日數歴れば、彌生も半過ぎ、春も既に暮なんとす。遠山の花は殘の雪かと見えて、浦々島々かすみ渡り、(略)
(平家物語~バージニア大学HPより)
三月も半過ぬれど、霞に曇る有明の月は猶朦なり。越地を指て歸る雁の雲居に音信行も、折節哀に聞召す。
(平家物語~バージニア大学HPより)
弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から不二の峯幽にみえて、上野谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし。 むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそゝく。
(奥の細道~バージニア大学HPより)
月に散る、花の降行く宮巡り。運ぶ歩(あゆみ)の数よりも、運ぶ歩(あゆみ)の数よりも、積もる桜の雪の庭、又色添へて紫の、花を垂れたる藤の門(かど)、明くるを春の気色かな、明くるを春の気色かな。
(謡曲・采女~岩波・新日本古典文学大系「謡曲百番」)
三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを見たまふにつけても、まづ見るかひありてゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、こなたに渡りて御覧ず。
呉竹の籬に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。「色に衣を」などのたまひて、
「思はずに 井手の中道隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花
顔に見えつつ」
などのたまふも、聞く人なし。
(源氏物語・真木柱~バージニア大学HPより)
三月の末に卯花の咲るを見侍りて
またきよりやよひをかけて夏衣さらしそめぬる岸のうの花
(隣女和歌集~群書類従14)
三月つごもりがたにかりのこのみゆるを「これを十づゝかさぬるわざをいかでせん」とて手まさぐりに生絹のいとをながうむすびてひとつむすびてはゆひひとつむすびてはゆひしてひきたてたればいとようかさなりたり。「なほあるよりは」とて九條殿女御殿御方にたてまつる。うのはなにぞつけたる。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
さきいつるいはねかみねのふちかつらはるはすくれとくるひともなし
(夫木抄~日文研HPより)
春の暮れつ方、心地の頼もしげなくおぼえければ 霞隔つるの左大将
幾返り春の別れを惜しみきて憂き身を限る暮れに会ふらん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
平家嫡々正統小松内大臣重盛公之子息、権亮三位中将維盛入道、讃岐屋島戦場を出て、三所権現之順礼を遂、那智の浦にて入水し畢。
元暦元年三月二十八日、生年二十七と書給ひ、奥に一首を被遺けり。
生ては終にしぬてふ事のみぞ定なき世に定ありける
其後又島より船に移乗、遥(はるか)の沖に漕出給ぬ。思切たる道なれど、今を限の浪の上、さこそ心細かりけめ。三月の末の事なれば、春も既に暮ぬ。海上遥霞籠、浦路の山も幽也。沖の釣舟の波の底に浮沈を見給ふにも、我身の上とぞ被思ける。帰雁の雲井の余所に一声二声(ふたこゑ)音信(おとづるる)を聞給ても、故郷へ言伝せまほしくおぼしけり。西に向ひ掌を合、念仏高く唱へつゝ、心を澄し給へり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)
比は三月廿八日の事なれば、海路遙に霞渡り、哀を催す類也。唯大方の春だにも、暮行空は懶きに、況や今日を限の事なれば、さこそは心細かりけめ。沖の釣船の浪に消入る樣に覺ゆるが、さすが沈も果ぬを見給ふにも、御身の上とやおぼしけん。己が一行引連て、今はと歸る雁がねの、越路を差て啼行も、故郷へ言づけせまほしく、蘇武が胡國の恨まで、思ひ殘せるくまもなし。
(平家物語~バージニア大学HPより)
弥生の廿日あまりの比、はかなかりし人の、水のあわとなりける日なれば、れいの心ひとつに、とかく思ひいとなむにも、我がなからんのち、たれかこれほども思ひやらん。かく思ひしこととて、思ひ出づべき人もなきが、たへがたくかなしくて、しくしくと泣くよりほかの事ぞなき。我が身のなくならむことよりも、これがおぼゆるに、
いかにせん我がのちの世はさてもなほ昔のけふをとふ人もがな
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
春深くなりゆくままに、御前のありさま、いにしへに変らぬを、めでたまふ方にはあらねど、静心なく、何ごとにつけても胸いたう思さるれば、おほかたこの世の外のやうに、鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ。
山吹などの、心地よげに咲き乱れたるも、うちつけに露けくのみ見なされたまふ。他の花は、一重散りて、八重咲く花桜盛り過ぎて、樺桜は開け、藤は後れて色づきなどこそはすめるを、その遅く疾き花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおきたまひしかば、時を忘れず匂ひ満ちたるに、(略)
(源氏物語・幻~バージニア大学HPより)
(天暦三年三月)廿二日乙丑。天皇御弓場殿。御覧侍臣賭弓。藤壺女御(安子)御曹司懸物。(女装束一襲也。)
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)
(寛元二年三月)廿四日甲子。御書所作文也。題云。詩情不限年。題中也。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
(建仁二年三月)廿六日。太上天皇臨幸石清水宮。諸衛一員幷舞人等供奉。於宮寺有競馬事。勅使参議右中将家経卿参向。被行勧賞。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
(治承四年三月)卅日。天晴る。法性寺に向ふ。右武衛渡らる。藤の花を見る。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(承元二年三月)廿一日。巳後に雨。未後に休む。巳の一点に、北野に参詣す。今日、一切経会と云々。即ち常盤殿に参ず。御影供。僧早く参ずるに依り、忩ぎ行はれ了んぬと云々。六角三位一人参会すと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(建保五年三月)廿九日(晦)。終夜今朝、甚雨。今日、陰明門院前栽合せ。昨一昨日、道路に草木を荷負ひて往反すと云々。日来音信の人多し。本より異物を栽ゑず。更に然るべき者無き由を答ふ。尋ね求めらるる所、皆珍しき異物と云々。見ず知らざる所なり。(略)三位入道、今日長春花(きんせんくゎ)・女郎花等を取る(普通、平の懐物なり)。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)