(略)女御の立蔀に、青やかに藤の繁りたるを、「今年は花咲かで過ぎぬる。」と申せば、「このほど咲きたるを、いまだ見ずや、うたて。」と仰言あれば、「さも侍らず。」と申せば、「さてそれは、こなたより見えざりけり。五ふさばかり咲きたりき。いつもの比にはあらで、今年もをり知りて咲きける花の心もありがたし。」
をり知りてかく咲きあへる藤の花なほなべてには思ふべきかは
例のまゝならば、今はさかりも過ぎまし。
(中務内侍日記~岩波・新日本古典文学大系)
同三年六月廿三日、宇治左府内大臣におはしましける時、院御所のちかゝりける御宿所にて、大殿筝を、おとゞ・権大納言笙、六条大夫基通笛にて御あそびありけるに、孝博月にのりて参じて琵琶を弾じけり。天曙(あけ)てぞ大納言帰給ける。同廿六日、院御所にて御遊ありけり。大殿・女房右衛門佐筝、新大納言・孝博琵琶、内大臣・権大納言笙、左衛門尉元正笛、能登守季行篳篥、宮内卿有賢拍子にて、双調・盤渉調曲を奏せられけり。夜ふけて折櫃のうへに折敷をおきて、けづりひをすゑて公卿の前におかれけり。院には御台にてぞ供せられける。寝殿の南面にてぞ、この御あそびはありける。孝博・元正は、砌(みぎり)のもとに畳をしきて候けり。夜あくるほどにぞ出(いで)にける。これ程に道にたれる人びとの、うちつゞき管絃の興ありける、いかに目出(めでた)かりけん。ありがたきためしなり。
(古今著聞集~岩波・新日本古典文学大系)
かくながら廿餘日になりぬる。こゝちせんかたしらずあやしくおきどころなきをいかですゞしきかたもやあると心ものべがてら濱づらのかたにはらへもせんと思ひて唐崎へとてものす。寅のときばかりにいでたつに月いとあかし。我がおなじやうなる人またともに人ひとりばかりぞあればたゞ三人のりて馬にのりたる男ども七八人ばかりぞある。加茂川のほどにてほのぼのとあく。うちすぎて山路になりて京にたがひたるさまをみるにもこのごろのこゝちなればにやあらんいとあはれなり、いはんやせきにいたりてしばしくるまとゞめて牛かひなどするにむなくるまひきつゞけてあやしき木こりおろしていとをぐらき中よりくるもこゝちひきかへたるやうにおぼえていとをかし。せきのみちあはれあはれとおぼえてゆくさきをみやりたればゆくへもしらずみえわたりて鳥の二三ゐたると見ゆるものをしひて思へばつりぶねなるべし、そこにてぞえなみだはとゞめずなりぬる。いふかひなきこゝろだにかくおもへばましてこと人はあはれとなくなり。はしたなきまでおぼゆればめもみあはせられず。ゆくさきおほかるにおほつのいとものむづかしきやどもの中にひきいりにけり。それもめづらかなるここちしてゆきすぐればはるばるとはまにいでぬ。きしかたを見やればみづらにならびてあつまりたるやどものまへに舟どもをきしにならべよせつゝあるぞいとをかしき。うきゆきちがふ船どもゝあり。いきもてゆくほどに巳のときはてになりにたり。しばし馬どもやすめんとて清水といふところにかれとみやられたるほどにおほきなる楝の木たゞひとつたてるかげにくるまかきおろして馬どもうらにひきおろしてひやしなどして「こゝにて御わりごまちつけん、かのさきはまだいととほかめり」といふほどに、をさなき人ひとりつかれたるかほにてよりゐたれば、餌袋なる物とりいでゝくひなどするほどにわりごもてきぬればさまざまあかちなどしてかたへはこれよりかへりて清水につけるとおこなひやりなどすなり。さてくるまかけてその崎にさしいたりくるまひきかへてはらへしにゆくまゝにみれば風うちふきつゝ波たかくなる。ゆきかふ舟どもをひきあげつゝいく。はまづらに男どもあつまりゐて「うたつかうまつりてまかれ」といへばいふかひなきこゑひきいでゝうたひてゆく。はらへのほどにけたいになりぬべくながらくる。いとほどせばき崎にてしものかたはみづぎはにくるまたてたり。みなおろしたれば、しきなみによせてなごりにはなしといひふるしたるかひもありけり。しりなる人々はおちぬばかりのぞきてうちあらはすほどに、天下にみえぬものどもとりあげまぜてさわぐめり。わかき男もほどさしはなれてなみゐて「さゞなみや志賀のからさき」などれいのかみごゑふりいだしたるもいとをかしうきこえたり。風はいみじうふけども木かげなければいとあつし。いつしか清水にと思ふ。ひつじのをはりばかりに はてぬればかへる。ふりがたくあはれとみつゝゆきすぎて山口にいたりかゝれば申のはてばかりになりにたり。ひぐらしさかりとなきみちたり。きけばかくぞおぼえける
なきかへるこゑぞきほひてきこゆなるまちやしつらんせきのひぐらし
とのみいへる、人にはいはず。走り井にはこれかれ馬うちはやしてさきだつもありていたりつきたればさきだちし人々いとよくやすみすゞみて心ちよげにてくるまかきおろすところによりきたれば、しりなる人
うらやましこまのあしとくはしりゐの
といひたれば
清水にかげはよどむものかは
ちかくくるまよせて、あてなるかたにまくなどひきおろしてみなおりぬ。手あしもひたしたればこゝち物思ひはるけるやうにぞおぼゆる。いしど もにおしかゝりて水やりたる樋のうへに折敷どもすゑてものくひて手づからすいえなどするこゝちいとたちうきまであれど「日くれぬ」などそゝのかす。かゝるところにては物などいふ人もあらじと思へども日のくるればわりなくてたちぬ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
六月廿餘日ばかりに、いみじう暑(あつ)かはしきに、蝉(せみ)のこゑ、せちに鳴き出だして、ひねもすに絶えず、いさゝか風のけしきもなきに、いと高き木どもの木暗き中より黄(き)なる葉の、一つづつやうやうひるがへり落ちたる、見るこそあはれなれ。「一葉の庭に落つる時」とかいふなり。
(前田家本枕草子)
みな月の晦方、六波羅の説教聞きにまかりたる人の、扇を取りかへて、やるとて
白露におきまどはすなあきくとも法(のり)にあふぎの風は異なり
(和泉式部続集~岩波文庫)
忍びたる男の、ほかざまになりぬべく聞きければ、みな月の末つ方遣はしける 慣れて悔しきの式部卿宮女
夏虫の一つ思ひに燃ゆれども待たれぬ秋の風や涼しき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
(寛喜元年六月)廿二日。天晴る。未の時許りに雷鳴猛烈。此の三ヶ月暑熱殊に甚し。雷鳴殊に猛し。大雨即ち晴る。今日、貫算の昇天の日か。末代猶忘れざるか。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)