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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 秋 八月上旬

2015年08月02日 | 日本古典文学-秋

慶雲元年八月戊午(五日)、伊勢・伊賀の二国に蝗(いなご)あり。
辛巳(二十八日)、周防国、大風ふき、樹(き)を抜きて秋稼(あきのみのり)を傷(そこな)ふ。
(続日本紀~新日本古典文学大系12)

延暦十二年八月癸丑(七日)
蓮葉を観賞して宴を催した。音楽を奏して、禄を下賜した。
(日本後紀~講談社学術文庫)

承和十一年八月辛巳朔(一日)
天皇が紫宸殿に出御して、萩(芳宜)の花宴を催した。老臣らは復古の儀に感歎した。
(続日本後紀~講談社学術文庫)

(長保二年八月)十日、甲寅。
(略)小舎人(笠)貞正が進上した瓜を五果、左府に送り奉った。その味は、近頃、見たものとは異なる。「召平の種」と称すべきものであるからである。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

長保五年八月三日、庚申。
御庚申待が行なわれた。題は、「秋はこれ、詩人の家」と。情を韻とした。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和二年八月)五日、甲子。
今日、丹生・貴布禰両社に奉幣を行なった。この奉幣使は、雨が止むように祈禱する使である。赤馬を献納された。使は、蔵人の(藤原)敦親と(藤原)登任であった。源中納言(源俊賢)が発遣の上卿を勤めた。宣命を内記(大江)為清が、春宮(敦成親王)の御在所(凝花舎)に持ってきた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 嘉保二年八月八日、院に行幸ありて相撲を御覧ぜられる。江師、兼日に式をつくりてたてまつりける時、舞人狛光季申けるは、「万歳楽をとゞめて賀殿を奏せんと思(おもふ)。その故は、一には万歳楽は毎年に御らむぜらるゝ曲也。一には説は賀殿おなじかるべし。一には舞興賀殿まされり。一には此院新造たり。賀殿の儀あひ叶(かな)へり」。江師このよしを奏せられければ、しかるべきよし勅定ありて、まづ賀殿・地久を奏しけり。其時の内裏は堀川院、仙洞は閑院にて侍けり。程ちかければ、かちの行幸にてぞ侍ける。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

(正治元年八月)一日。天晴る。大臣殿に参ず。旬、御祓ひ。陪膳に奉仕し了んぬ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治元年八月)七日。朝より少雨降る。未後に甚雨。午の時許りに大臣殿に参ず。蔵人大進長兼参入す。心閑かに心事を談ず。終日伺候し、深更に退下す。延杲僧正、祈雨を御所に承はる。程なく甚雨。霊験と謂ふべし。但し、国土のため今に於ては無益か。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建仁元年八月)三日。今夜、影供の歌合せなり。良々久しくして、右中弁出でおはしますの由を申す。次第に参着。大略一夜(ひとよ)の如し。左大臣殿・内大臣殿・座主・入道殿・頭中将・隆信朝臣・有家朝臣・予・保季・師光入道・雅経・具親・寂蓮なり。是より先、文台に歌合せ二巻を置く。召しに依りて予参上す。講師を供(つかまつ)る。六題、各々十八番。題、作者を書かる。評定。入道殿判せしめ給ふ。夜半過ぎて入りおはします。人々分散す。大臣殿出でおはしまし了んぬ。予、窮屈に依りて、直ちに坊門に帰る。今夜御結びに召さる。道の面目なり。五番を参りて勝ちおはまし、一番持の由、仰せ事あり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保元年八月)七日。天晴る。未の時、俄に陰る。大雨忽ち降る。法験なり。一時を経ずして晴る。(略)今夜始めて秋気有り。雨後の凉風か。
八日。天晴る。未の時許りに雷鳴。大風小雨。夜に入り院に参ず。頭弁神泉より参ずと云々。語りて云ふ、今夜請雨経法を始めらる。成宝僧正。此の法永久年中の後、九十余年断絶。今度修せらる。江闍梨、人夫百人許りを以て、池幷に庭上を修治し、悉く其の垢穢を払ふ。是れ故実と云々。祐普法印(四の長者)昨日孔雀経法結願。已に耻を凌ぐと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保三年八月)十日 丁酉。晴、 将軍家、聊カ御不例ノ間、御所ニ於テ、御祈ヲ行ハル。大監物宣賢、月曜ノ祭ニ奉仕ス。 
(吾妻鏡~国文学研究資料館HPより)

(寛喜二年八月)二日(辛酉)。天晴る。終日、綿衣を著す。薄の穂多く出づ。近日小鳥山を出で、渡ると云々。菊の花已に含む。朝、止観を校す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建長六年八月)十日 庚辰 雨降ル。夜ニ入テ晴ニ属ス。丑ノ剋ニ、東方ニ白虹見ハル。
(吾妻鏡~国文学研究資料館HPより)

八月一日、中宮の御方よりまゐりたりし御たきもの、よのつねならず匂ひうつくしう侍りしかば、辨内侍、
けふはまた空焚物の名をかへてたのめば深き匂ひとぞなる
院の御所の辨内侍、こうたうの内侍のもとへ、「はぎのとの萩はさきたりや。」とたづねられたるに、一枝をりてつかはすとて、こうたうの内侍にかはりて、辨内侍、
秋をへて馴れこしにはの萩のえにとめし心の色をみせばや
かへし、
思ひやる萩のふるえにおく霜はもとみし人の涙なりけり
(弁内侍日記~群書類從18)

八月のはじめつかたにもなりぬれば、武蔵野の秋の気色ゆかしさにこそ今までこれらにも侍りつれ、と思ひて、武蔵の国へかへりて、浅草と申す堂あり。十一面観音のおはします、霊仏と申すもゆかしくて参るに、野のなかをはるばるとわけゆくに、はぎ、をみなへし、をぎ、すすきよりほかは、またまじる物ものもなく、これが高さは、馬にのりたる男の見えぬほどなれば、おしはかるべし。三日にや、わけゆけども尽きもせず。
(問はず語り~岩波文庫)

八月十日比(ころ)、いつの日にてありしやらん、時雨に先立ちて色深き紅葉の枝に、紅(くれなゐ)の薄様結びつけられて、仲房朝臣もて下(くだ)されたりし。
 まだ知らぬ深山(みやま)隠れに尋来て時雨も待たぬ紅葉をぞ見る
御返し、
 ふるさとに帰る行幸(みゆき)の折からや紅葉の錦かつ急ぐらん
(小島のくちずさみ~(岩波)新日本古典文学大系51中世日記紀行集)

コメント (4)
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