「これは何と申子細ぞや」「さん候。来(こ)うずる八月十五日に、宇佐八幡の御前にて、放生会と申事を執(と)り行(をこな)はせ給へ」「それはさて、いかていの物の入事にて候ぞ」「さむ候。職掌、国掌、神官、宮人、八人の八乙女、五人の神楽男参り、ていとうの鼓を打ち、さつさつの鈴を振り上げ、競馬、上馬、神子のむら、獅子、田楽通(とを)つて後(のち)、流鏑馬候よ」。
(烏帽子折~岩波・新日本古典文学大系59)
ワキ詞「抑これは鹿島の神職筑波の何某とは我が事なり。偖も此度都にのぼり。洛陽の寺社残なく拝み廻りて候。又今日は南祭の由承り候ふ間。八幡に参詣申さばやと存じ候。
(略)
シテ、ツレ二人真ノ一声「うろくづの。生けるを放つ川波に。月も動くや秋の水。
ツレ二ノ句「夕山松の風までも。
二人「神のめぐみの。声やらん。
(略)
「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「けふは八幡の御神事とて。皆々清浄の儀式の姿なるに。翁に限り生きたる魚を持ち。真に殺生の業不審にこそ候へ。
シテ「けにけに御不審は御理。さてさて今日の御神事をば。なにとか知し召されて候ふぞ。
ワキ「さん候これは遠国より始めて参詣申して候ふ程に。委しき事をば知らず候。いで此御神事をば放生会とかや申すよなう。
シテ「さればこそ放生会とは。生けるを放つ祭ぞかし。御覧候へ此魚は。生きたる魚をそのまゝにて。
ツレ「放生川に放さん為なり。知らぬ事をな宣ひそ。
シテ「其上古人の文を聞くに。
シテツレ二人「方便の殺生だに。菩薩の万行には超ゆると云ふ。ましてやこれは生けるを放せば。魚は逃れわれは又。かへつて誓の網に漏れぬ。神の恵を仰ぐなり。
(謡曲・放生川~謡曲三百五十番)
世にかくてつなかるゝ身もすくはなんいけるをはなつ神の恵に
(年中行事歌合~群書類従)
十五日のあした、小町殿のもとより、「けふは放生会の日にて侍る。いかが思ひいづる」と申したりしかば、
おもひいづるかひこそなけれ岩清水おなじながれのすゑもなき身は
返し、
ただたのめ心のしめのひくかたに神もあはれはさこそかくらめ
また、鎌倉の新八幡の放生会といふ事あれば、ことのありさまもゆかしくて、たちいでて見れば、将軍御出仕のありさま、所につけては、これもゆゆしげなり。大名どもはみな狩衣にて出仕したる、直垂きたるたちはきとやらんなど、思ひ思ひのすがたども、めづらしきに、赤橋といふ所より、将軍、車よりおりさせおはしますをり、公卿、殿上人、せいせう御供したるありさまぞ、あまりに、いやしげにも、物わびしげにも侍りし。
(問はず語り~岩波文庫)
十五日 壬寅 今日鶴岡ノ放生会ナリ。去ヌル月朔日ニ、之ヲ行ハルト雖モ、*式目(*式日)タルニ依テ、故ニ以テ其ノ儀有リ。箱根山ノ児童八人参上シ、舞楽有リ。馬長、流鏑馬、例ノ如シト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治五年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)
十五日 辛卯 鶴岡ノ放生会、幕下御参宮ノ、経供養。導師ハ、安楽坊重慶、童舞有リ。〈箱根ノ児童ト〈云云〉〉
(吾妻鏡【建久二年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)
十五日 庚申。晴、 鶴岡ノ放生会、将軍家御出デ例ノ如シ。還御ノ後、明月ニ望ンデ、庚申ヲ守リ、当座ニ和歌ノ御会有リ。
(吾妻鏡【建保五年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)