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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 秋 八月十五日 放生会

2015年08月15日 | 日本古典文学-秋

「これは何と申子細ぞや」「さん候。来(こ)うずる八月十五日に、宇佐八幡の御前にて、放生会と申事を執(と)り行(をこな)はせ給へ」「それはさて、いかていの物の入事にて候ぞ」「さむ候。職掌、国掌、神官、宮人、八人の八乙女、五人の神楽男参り、ていとうの鼓を打ち、さつさつの鈴を振り上げ、競馬、上馬、神子のむら、獅子、田楽通(とを)つて後(のち)、流鏑馬候よ」。
(烏帽子折~岩波・新日本古典文学大系59)

ワキ詞「抑これは鹿島の神職筑波の何某とは我が事なり。偖も此度都にのぼり。洛陽の寺社残なく拝み廻りて候。又今日は南祭の由承り候ふ間。八幡に参詣申さばやと存じ候。
(略)
シテ、ツレ二人真ノ一声「うろくづの。生けるを放つ川波に。月も動くや秋の水。
ツレ二ノ句「夕山松の風までも。
二人「神のめぐみの。声やらん。
(略)
「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「けふは八幡の御神事とて。皆々清浄の儀式の姿なるに。翁に限り生きたる魚を持ち。真に殺生の業不審にこそ候へ。
シテ「けにけに御不審は御理。さてさて今日の御神事をば。なにとか知し召されて候ふぞ。
ワキ「さん候これは遠国より始めて参詣申して候ふ程に。委しき事をば知らず候。いで此御神事をば放生会とかや申すよなう。
シテ「さればこそ放生会とは。生けるを放つ祭ぞかし。御覧候へ此魚は。生きたる魚をそのまゝにて。
ツレ「放生川に放さん為なり。知らぬ事をな宣ひそ。
シテ「其上古人の文を聞くに。
シテツレ二人「方便の殺生だに。菩薩の万行には超ゆると云ふ。ましてやこれは生けるを放せば。魚は逃れわれは又。かへつて誓の網に漏れぬ。神の恵を仰ぐなり。
(謡曲・放生川~謡曲三百五十番)

世にかくてつなかるゝ身もすくはなんいけるをはなつ神の恵に
(年中行事歌合~群書類従)

十五日のあした、小町殿のもとより、「けふは放生会の日にて侍る。いかが思ひいづる」と申したりしかば、
おもひいづるかひこそなけれ岩清水おなじながれのすゑもなき身は
返し、
ただたのめ心のしめのひくかたに神もあはれはさこそかくらめ
また、鎌倉の新八幡の放生会といふ事あれば、ことのありさまもゆかしくて、たちいでて見れば、将軍御出仕のありさま、所につけては、これもゆゆしげなり。大名どもはみな狩衣にて出仕したる、直垂きたるたちはきとやらんなど、思ひ思ひのすがたども、めづらしきに、赤橋といふ所より、将軍、車よりおりさせおはしますをり、公卿、殿上人、せいせう御供したるありさまぞ、あまりに、いやしげにも、物わびしげにも侍りし。
(問はず語り~岩波文庫)

十五日 壬寅 今日鶴岡ノ放生会ナリ。去ヌル月朔日ニ、之ヲ行ハルト雖モ、*式目(*式日)タルニ依テ、故ニ以テ其ノ儀有リ。箱根山ノ児童八人参上シ、舞楽有リ。馬長、流鏑馬、例ノ如シト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治五年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

十五日 辛卯 鶴岡ノ放生会、幕下御参宮ノ、経供養。導師ハ、安楽坊重慶、童舞有リ。〈箱根ノ児童ト〈云云〉〉
(吾妻鏡【建久二年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

十五日 庚申。晴、 鶴岡ノ放生会、将軍家御出デ例ノ如シ。還御ノ後、明月ニ望ンデ、庚申ヲ守リ、当座ニ和歌ノ御会有リ。
(吾妻鏡【建保五年八月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 秋 駒迎・駒牽

2015年08月15日 | 日本古典文学-秋

文治六年女御入内屏風に、駒迎の所 後京極摂政前太政大臣
東よりけふ逢坂の山こえて都にいつる望月の駒
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

延喜御時、月次御屏風に つらゆき
相坂の関のし水に影みえていまやひくらんもち月のこま
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

駒迎の心を 大蔵卿雅具
逢坂の関立出る影見れはこよひそ秋のもち月の駒
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀河院百首歌に、駒迎 権中納言国信 
相坂の関のむら杉葉をしけみ絶間にみゆる望月の駒 
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

ひくこまやちかくなるらしあふさかのせきのいはかとおとひひくなり
せきみつのかけもさやかにみゆるかなにこりなきよのもちつきのこま
(文治六年女御入内和歌~日文研HPより)

これもまたちとせのあきのためしかなけふことにひくもちつきのこま
(明日香井集~日文研HPより)

イクタヒカ駒ヒク秋ヲムカヘコシアフサカ山ノセキノ旅人
(蒙求和歌~続群書類従15上)

後白河院栖霞寺におはしましけるに、駒ひきの引わけの使にてまいりけるに 定家朝臣 
嵯峨の山千世のふる道跡とめて又つゆわくるもち月の駒 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

 駒迎 清輔朝臣
ひく人もなきわが身こそかなしけれうらやましきはもち月のこま
 源定宗
うらやましうきよにあひしはなれごまけふぞみやこの人にひかるる
(言葉集~新編国歌大観10)

駒牽の歌とてよませ給うける 花園院御製
むかしみし雲ゐはとをく隔つれと面影ちかき望月の駒
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

十六日はこむまひき也。上卿萬里小路大納言宰相、ひきわけの使もとまさ。ことゞもはてゝ、大納言殿、局のつまにかきて、公忠して、
君が代につかへて今宵みつるかなよそに聞きこし望月の駒
返し、少將内侍、
君が代につかへてし身は望月の駒も千とせのためしにや引く
ことのやう、ことにやさしくて、おなじく返し、辨内侍、
今もさぞよゝのおもかげかはらめや秋のこよひの望月の駒
(弁内侍日記~群書類從18)

寛弘二年八月十六日、壬辰。
外記庁に参った。内裏に参った。覚運僧都の房に参った。朝夕の講が終わった後、駒牽(こまひき)が行なわれた。日の上卿は右金吾が勤めた。天皇の出御は無かった。御馬解文は、左衛門陣において開いて見た。上卿は少納言に命じて、侍従を召させた。少納言は座を起(た)って、籬の外に到った。召使を召して、これを命じた。中重(なかのえ)で取る時は、春華門から御馬を入れさせるということを、外記に命じるべきである。ところが今夜は、そうではなかった。雨儀では、宣陽門の南廊においてこれを行なう。第二の御馬を春宮(居貞親王)に牽き分けるよう、上卿が命じた。ところが亮(すけ)(藤原)通任は、第六の馬を取った。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

寛弘六年八月十六日、戊戌。
左府の許に参った。内裏に参った。信濃の駒牽(こまひき)が行なわれる。三日間を限る廃朝であるので、勅定に随って決定することになった。事情を奏上させた。一条天皇がおっしゃって云ったことには、「康保三年八月二十六日、国忌の廃務であったので分け取らず、馬寮に収めさせた例がある。今日は馬寮に下給して、明日分け取らせるように」と。すぐに(滋野)善言朝臣に伝えた。退出した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(建久八年八月)十六日。黄昏に束帯を着す。駒牽の事に依りてなり。退出の後、一行を右中弁の許に送る。
 立ち馴れし三世の雲井を今更に隔てて見つる霧原の駒
返事廬に帰りて、即ち持ち来たる。
 時の間の隔て鳴くらむ立ち馴れし雲井に近き霧原の駒
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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