友松圓諦訳「法句経」(講談社学術文庫)より
一六〇
おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲ん
二九二
まこと なすべきを
なおざりにし
なすべからざるをなし
伎(たわむれ)におぼれ
しかも なすところ
放逸(なおざり)なるもの
かかるひとびとに
悪習(まよい)は増長(いやまさ)る
同じ部分を、中村元訳「ブッダの真理のことば感興のことば」(岩波文庫)から採ってみました。
一六〇 自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
二九二 なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚(けが)れが増す。
268ページ:
己(おのれ)を灯(ともしび)とし
己を拠(よりどころ)とせよ
他のものを拠とするな
真理を灯とし
真理を拠とせよ
他のものを拠とするな
144ページ: 「幸い」などというものは、他者との比較においてのみ生ずるものであり、己のなすべきことをまず手を抜かずに果たせ。何の心配もいらない。己の生を信じ、己を拠(よ)り所にして生きよ。