(大宝元年)二月(略)丁巳(十四日)、釈奠す。(注、釈奠の礼、是に始めて見ゆ。)
(続日本紀~岩波・新日本古典文学大系)
(延暦十二年二月) 己未(十日)
大学寮が「釈奠で犠牲(いけにえ)を解体せず祭場へ進めるに当たっては、偏(ひとえ)に礼法に従い実施したいと思います」と言上してきたので、許可した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(承和十一年二月) 丁卯(十四日) 釈奠が行われ、公卿らは大学寮でことに当たった。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
州廟釈奠有感
一たび趨(はし)り一たび拝す 意(こころ)泥(こひぢ)の如し
■(缶へん+尊)爼蕭疎(そんそせうそ)にして 禮用(れいゐやう)迷(まど)ふ
暁漏(げうろう) 春風(しゆんぷう) 三獻(さむこん)の後(のち)
若し供祀(きようし)するに非(あら)ずは定めて児(ちご)のごとくに啼(な)くならむ
(菅家文草~岩波・日本古典文学大系)