洗心 senshin

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一年前の記事。「究極自然神の御威光。」

2024-08-09 20:06:01 | つぶやき

究極自然神の御威光。

そうか来たか!ニュルンベルグ裁判と言えば 判る者は判るだろうか。 三つ子の魂の頃から 斯くあることと肝に銘じていたではないか。自然宇宙のクライン環構造を眞に識......

そうか来たか!
ニュルンベルグ裁判と言えば 判る者は判るだろうか。
 
三つ子の魂の頃から 斯くあることと肝に銘じていたではないか。
自然宇宙のクライン環構造を眞に識れば斯く成ることは必然であった。
 
肉体の涙は見せぬ。心の涙も見せぬ。
ただ 魂の涙は全宇宙を洗い流し続けるだろう。
 
いつの瞬間もそれがすべてである。
ただ ただ 究極自然神の御威光に平伏するのみである。

… … … … … 

地球が地球人だけにあらず 宇宙が元から地球人のものではなく 遥かに進化した宇宙類人種の気が遠くなるほどの究極進化の基に創造原初からの宇宙憲章があるとすれば 『優良クライン環』の周波数共振により既成のすべてを正転させねば埒は明かないということになる。
「人間」はより深層高次元の法(のり)に従い『人』として自立せねばならない。

二年前の記事。「波長座標。」

2024-08-09 10:07:07 | つぶやき

一年前の記事。

 波長座標。何故 現状の表層脳の知識追及に未来創造性を感じないかと言えばそもそもが表層脳情報をデーター化した瞬間に自然量子ネットワークから乖離してしまうからで......

何故 現状の表層脳の知識追及に未来創造性を感じないかと言えば
そもそもが表層脳情報をデーター化した瞬間に自然量子ネットワークから
乖離してしまうからである。
 
つまり 自然量子のエーテルから抽出され育まれた『人』という
自然量子高次元端末は自然量子の真意に副ってこそ
自然神の意図を実現出来るものであるにも拘わらず
表層情報層という乖離平面に自ら取り込まれることにより
神の高次元器械であることを亡失し乃至は放擲し
只の操り人形に成り下がるのである。
 
ここの極みが立体的に透視図化出来ないために人間は眞の神を
その良心に写し出せないのである。
先ずは既成概念に鎮座する神を追い求めるのではなく
あなた自身の魂の波長座標を深く探ることである。
 
… … … … … 
 
(一年前の感想)
まさに このカラクリが魂の底から写し出し理解出来るなら この地上の一生は大いに価値あるものとなるだろう。
表層記憶脳に描いた神や理想はすべて偽物である。それくらいの意気込みを以って眞實精査を断行するべきである。
次元を超えるということはそういうことなのである。

(本年の感想)
表層意識に平面の真理や神を祀り崇めることは実に容易であるために 永きにわたり過てる「人間」の歴史を刻んで来たのである。反して 深層統合意識に眞實を正しく写すのは想像以上に困難である。だからこそ 『人』による眞實精査が求められるのである。