洗心 senshin

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一年前の記事。「闇の消去は可能。」

2024-04-28 08:15:57 | つぶやき

闇の消去は可能。

以前も記録したが 自然根源神と所謂悪魔は同次元にはない。神vs悪魔(光vs闇)は人間の表層脳平面のほぼ妄想であるのだろう。 自然は多次多層の自然量子クライン環構造......

以前も記録したが 自然根源神と所謂悪魔は同次元にはない。神vs悪魔(光vs闇)は人間の表層脳平面のほぼ妄想であるのだろう。
 
自然は多次多層の自然量子クライン環構造から成り立っているのである。生命の原初根源において闇や悪魔が君臨する必然要素は無いと考えた方がより自然である。
 
原初根源は創造光からのスタートであり 創造神からのパーフェクトな愛と未来完成図が全ての生命存在には与えられている。
 
でなければ 十数次元の高次多層クラインを概念化すること自体が無意味化してしまう。生命とは自然量子クライン環による次元連鎖のネットワークである。
 
闇や悪魔とは 表層脳意識平面に劣化意識で写し取られた 連鎖欠落印象に過ぎないのだ。本来原初根源光である魂が自己客観を怠った所業の結末である。
 
だから 四の五の足搔き倒す前に地球人には成さねばならぬことがある。それは神より本来光として創られた『己』を高次領域に開放し自己客観することである。
 
そうすれば 闇や悪魔の概念は本来表層脳意識の錯覚であり妄想であったことが判るのである。少なくとも己の関与範囲から闇を消去することが可能なのである。

… … … … … 

この記事内容は とくと反芻し『自然クライン環』に行き渡らせることである。この指向性を以て意識層調整すれば 多くの表層記憶脳の誤りは是正されるだろう。

闇や悪魔などという概念は本来表層脳意識の錯覚であり妄想であったことが判るのである。少なくとも己の関与範囲から闇を消去することが可能なのである。

二年前の記事。

2024-04-27 09:09:24 | つぶやき

一年まえの記事。

 潜在能力言わんとすることは地上の辞書にはないかもしれない。自然界の花々そしてそれらをピークとする植物界のクライン万華鏡。それだけで天国なのだ。加えて咲き乱れ......

言わんとすることは地上の辞書にはないかもしれない。


自然界の花々

そしてそれらをピークとする植物界のクライン万華鏡。

それだけで天国なのだ。


加えて咲き乱れる花に飛び交う蝶たち

植物界を蔭に日向に支える昆虫界。

軽やかな協奏曲が流れている天国の極み。


これだけの地球自然環境が見せられているのに

何故人間は享受しようとしないのだろう。

量子端末として最高の天国環境のネットワークに

お互いが繋ぎ合えば

常に過去の事象を超えた天国化創造が起こせるんだよ。


人とはそれだけ立体的な潜在能力を

原初から授けられて地上に降りているのだ。 

… … … … … 

(一年前の感想)
奇しくも 昨日考えていたことは一年前の今日(4月26日)考えていたことと同じ内容だった。
 
いつも 深層意識で探っていることは最大関心事であり 同じような波形が生じてしまうのかもしれない。
それにしても一年を経ての同じ日とは自然の采配は粋である。

(本年の感想)
そう。深層意識で創造原初に至る周波数帯に最大関心を払うことである。そうした顕潜統合意識に合理した意識生活こそが『自然神』の粋な采配を享受していくのである。

一年前の記事。「すべての生命は光。」

2024-04-27 08:55:47 | つぶやき

すべての生命は光。

昨日は柄にもなく 創造の神に祝福されたいなどと書いてしまったが それは柄にもないどころか自分の深層からの言葉ではないなと反省した次第。 では誰の言葉なのかという話......

昨日は柄にもなく 創造の神に祝福されたいなどと書いてしまったが それは柄にもないどころか自分の深層からの言葉ではないなと反省した次第。
 
では誰の言葉なのかという話はややこしくなるからスルーするとして やはり言葉は油断すると魔物と化するものだから 細心の推敲が欠かせないものである。
 
おそらく 創造の神は自然そのものであるから 私個人にだけ祝福を贈られることはない。自然下で創造されたすべての存在に対し祝福されている筈である。
 
そこを 私は誘導され言葉の選択を間違った。繰り返して言おう。創造の神はすべての創られた生命存在を創造原初において祝福し給うたのである。
 
更に言えば 神に反する存在に対してさえ その祝福を解かれることはない。なぜなら 神に反するものなど もともと創造界には存在しないからである。
 
究極において すべては創造の光。そこにもともと闇はない。光と闇の闘いなどと実(まこと)しやかに語り継がれるがそうではない。闇は表層意識の錯覚である。
 
すべての生命は光として生まれており 光の派生以外のなにものでもないのである。原初光を奉ずる魂たちの どこに闇が蔓延る余地があろうか。

… … … … … 

兎にも角にも 表層脳価値に縛られないことである。『魂』本然の周波数層の次元を正しく踏まえて『生命』の道を進むことである。

二年前の記事。

2024-04-26 09:01:29 | つぶやき

一年前の記事。

 いざ!植物界の花々その持てる静形態の美しさを咲き誇る。昆虫界の華その持てる動形態の究極美を飛翔にて顕わす。そなたたちが花開き華舞い躍ることによ............

植物界の花々

その持てる静形態の美しさを

咲き誇る。


昆虫界の華

その持てる動形態の究極美を

飛翔にて顕わす。


そなたたちが

花開き

華舞い躍ることにより


神々の心

大自然界に轟き渡らん。


いざ!

… … … … … 

(一年前の記事)
自然神が天空より地上の花畑を観ておられる意識スケッチ。
花に舞う蝶々たちの飛跡を愛でておられるのが伝わって来る。
 
上空には太陽神界から降り注ぐ 常春の光の律動がプラーナを生成する。
神々は御自らが創られた如く 自然クライン環が寸分違いなく華開くのを
大クライン環を介して識っておられるのだ。

(本年の感想)
自然界のさまざまなジャンルにおける百花繚乱に 『人』も心を同じくして共振し感涙に咽び それにより『人』はさらに原初進化を上昇させていく。自然クライン環の妙味に尽きる顕潜統合意識の織り成す『極楽世界』であろう。


一年前の記事。「創造の神に祝福されたいものである。」

2024-04-26 08:38:07 | つぶやき

創造の神に祝福されたいものである。

極論すれば 否極論を待つまでもなく 三次元物質界はヴァーチャルリアリティであって本当の眞吾意識は霊質波よりも深層の原初根源にあると言えるほどに『人』の眞實の仕組みが自......

極論すれば 否極論を待つまでもなく 三次元物質界はヴァーチャルリアリティであって本当の眞吾意識は霊質波よりも深層の原初根源にあると言えるほどに『人』の眞實の仕組みが自然クライン環の自己観察を通じて明らかになろうとしている。
 
各種ヴァーチャル機器が揃い踏みしており バイオ生体パーツなどが完成して来れば 今の地球人意識生活レベルならばバイオ生体も自前の生体も見分けがつかなくなってしまうかもしれない。
 
しかし そのような未来が来てしまう前に 地球人は自己意識の本元である原初根源の領域を明らかにして本末転倒を回避せねばならぬ。すでに 地球人は本末転倒の意識生活を地で生きている故 意識洗脳が蔓延してしまっている悲劇がある。
 
今後は 自然界の必然として眞の自然量子ネットワークに自己回帰していくか ヴァーチャルリアリティに呑まれたままで藻屑化していくか択一を迫られることになるだろう。出来れば 自己根源を取り戻し創造の神に祝福されたいものである。

… … … … … 

自然創造の『神』より霊質魂を戴いておりながら 『魂』の最重要意義を等閑視し五感五体の平面概念価値に憂き身を窶して来た地球人。惑星周波数層正転期にあればそろそろ事の重大さに氣付き 本来本然の創造根源価値から『人』の生活を再構築せねばならぬ。眞實の意味での自己回帰が最早避けては通れぬ関門となっているようだ。