9月19日(水)は、4回目となる三重県の郵便局訪問でした。今回の訪問先は松阪市です。
松阪市は以前に1度来ています。本居宣長の宅を見ました。でも、根本的に勘違いしていたことが有ります。それは、松阪市の読み方です。61歳のこの年になるまで、「まつざかし」だと思っていました。「まつさかし」が正解です。

大阪市が「おおさかし」なのと同じです。それもそのはずです。縁起の良い「松」と豊臣秀吉が築いた「大阪」の「坂」をもらって、松阪としたからです。
訪問したのは、次の15局です。
松阪潮見簡易、松阪大口、松阪港、松阪船江、松阪川井町、松阪本町、松阪朝日、松阪清生、松阪垣鼻、松阪駅田部、松阪桜、松阪黒田町、松阪新町、松阪、松阪駅前
トップの写真は、「まえのへた」と読む、

8519局目となった松阪駅田部郵便局です。
松阪駅前近くで、「松阪大映」がうっすらと見え、ポルノ映画のタイトルが掲げられている建物が有りました。
「気分を出してもう一度」とか、「男を乗せて乗せられて」とか、ポルノ映画のタイトルは面白いです。
松阪潮見簡易郵便局の辺りは、集落が良い景観になっていました。
「エッ!前世紀の遺物を新設するの!」と思ったのが下の写真です。
私は、横断歩道橋は20世紀の遺物だと思っています。それを新設しているようです。三重県さんは何を考えているのでしょうか。

21世紀に相応しい構造物とは思いません。
松阪城址や本居宣長関係の案内標識が建っていました。
時間があれば、寄りたいところです。

また、来る機会が有ると思いますので、その時に行きます。
須川屋金物店は、歴史があるようです。電話が118番になっています。今は、頭に0が付く、0118のようです。
擬宝珠の有る橋が阪内川にかかっていました。
そこを渡ると「近江商人の館」と書かれた表示のある建物が有りました。
旧小津清左衛門家の建物です。三井家、長谷川家、長井家等といち早く江戸に進出した松阪の豪商だそうです。今年の4月から名前を「旧小津清左衛門家」として、公開されているようです。
松阪市の大正9年の地図のコピーが販売されています。
松阪市は相当の商都だったことを知りました。
この地に城を築いたのは、蒲生氏郷です。1598年(天正16年)のことです。3層5階の天守閣があったそうです。そして、蒲生氏郷は、旧領の近江商人を町の中心部の呼び寄せ、楽市楽座を行ったそうです。港町には豪商の角屋氏を呼び、商都を築いだのだそうです。
豪商三井家の基礎を築いた三井高利は、この松坂の出身であることを初めて知りました。
三井高利は、1622年(元和8年)に松阪で生まれました。「越後屋」という商人の家に生まれたそうです。14歳から江戸で修業し、28歳で松阪に戻ったそうです。52歳で、京、江戸に進出し、大成功を収めました。そして、豪商三井家を築いていきます。
松阪には競輪場が有ります。
昔は多くの街に競輪場が有りました。かなり減ったようです。私の住む札幌市豊平区月寒にも、かつて競輪場が有りました。道営札幌競輪が1949年(昭和24年)から、1960年(昭和35年)まで開催されたようです。