1月14日(日)、私は、初めて博物館明治村に行きました。
トップの写真の正門は、旧第八高等学校の門でした。現在の名古屋市立大学滝子キャンパスの所にあったものだそうです。1908年(明治41年)に建てられたそうです。
正門の横の建物で入場料を支払、中に入ります。正面に作品が有りました。
「新世紀の扉」と題されています。真ん中の紋章は、1912年(明治45年)に造られた、内閣文庫の正面に飾られていたものだそうです。両脇は、1907年(明治40年)に建築された金沢監獄の門だそうです。紋章が付いている煉瓦は東京の汐留で発掘されたものだそうです。
右手に進むと洋館が有ります。大井牛肉店です。
1887年(明治20年)、神戸市生田区元町に岸田伊之助氏が牛肉販売と牛鍋の店として建築したものだそうです。現在でも、牛鍋屋としてこの明治村で使われています。
さらに進むと、三重県尋常師範学校・倉持小学校の建物が有ります。
1888年(明治21年)に三重県尋常師範学校として建てられたそうです。その後、1928年(昭和3年)に、三重県名張市の倉持村に売却・移転し、倉持小学校として使われていました。元々はE字形で左右対称でしたが、現在は中央玄関と右側の2つの教室だけが残されているそうです。
中に入ると当時の小学校の教科書や教育勅語が有りました。
教育勅語は漢文だったのですね。初めて知りました。
突き当りは、近衛局本部付属舎です。
1888年(明治21年)に皇居坂下門内に建築されました。近衛局が去った後、皇宮警察本部として1967年(昭和42年)まで使用されていたそうです。
ここでは、現在、明治村の住民票が発光されていました。ここから山の方に進みます。
坂の手前には赤坂離宮正門哨舎が有ります。
紀州徳川家の中屋敷は1872年(明治5年)に赤坂離宮となりました。翌年の皇居炎上から1888年(明治21年)まで仮皇居として使われたそうです。皇居完成後、1909年(明治42年)に建物が造られた、宮御所として使われることとなります。その正門前にあった哨舎です。左右に有りましたが、1つだけが展示されています。
坂を登り切った所に重要文化財である聖ヨハネ教会が有ります。
1907年(明治40年)に京都の河原通にプロテスタントの日本聖公会の京都五條教会として建築されたものだそうです。1Fはレンガ造、2Fは木造で礼拝室です。2Fに上がってみました。
なかなか美しいです。
坂を少し降りて右に行くと天井の高い建物が有ります。学習院長官舎です。
1909年(明治42年)に建築されたものだそうです。その時の学習院長は10代目で、陸軍大将の乃木希典氏だったそうです。
次回は、1丁目にある重要文化財の西郷従道邸からお召列車までです。