しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

博物館明治村に初めて行きました。正門から1丁目の学習院長庁舎までのご紹介です

2018-01-31 19:52:32 | Weblog

 1月14日(日)、私は、初めて博物館明治村に行きました。

 トップの写真の正門は、旧第八高等学校の門でした。現在の名古屋市立大学滝子キャンパスの所にあったものだそうです。1908年(明治41年)に建てられたそうです。


 正門の横の建物で入場料を支払、中に入ります。正面に作品が有りました。

 

 「新世紀の扉」と題されています。真ん中の紋章は、1912年(明治45年)に造られた、内閣文庫の正面に飾られていたものだそうです。両脇は、1907年(明治40年)に建築された金沢監獄の門だそうです。紋章が付いている煉瓦は東京の汐留で発掘されたものだそうです。


 右手に進むと洋館が有ります。大井牛肉店です。

 

 1887年(明治20年)、神戸市生田区元町に岸田伊之助氏が牛肉販売と牛鍋の店として建築したものだそうです。現在でも、牛鍋屋としてこの明治村で使われています。


 さらに進むと、三重県尋常師範学校・倉持小学校の建物が有ります。

 

 1888年(明治21年)に三重県尋常師範学校として建てられたそうです。その後、1928年(昭和3年)に、三重県名張市の倉持村に売却・移転し、倉持小学校として使われていました。元々はE字形で左右対称でしたが、現在は中央玄関と右側の2つの教室だけが残されているそうです。
 中に入ると当時の小学校の教科書や教育勅語が有りました。

 

 教育勅語は漢文だったのですね。初めて知りました。


 突き当りは、近衛局本部付属舎です。

 

 1888年(明治21年)に皇居坂下門内に建築されました。近衛局が去った後、皇宮警察本部として1967年(昭和42年)まで使用されていたそうです。
 ここでは、現在、明治村の住民票が発光されていました。ここから山の方に進みます。

 坂の手前には赤坂離宮正門哨舎が有ります。

 

 紀州徳川家の中屋敷は1872年(明治5年)に赤坂離宮となりました。翌年の皇居炎上から1888年(明治21年)まで仮皇居として使われたそうです。皇居完成後、1909年(明治42年)に建物が造られた、宮御所として使われることとなります。その正門前にあった哨舎です。左右に有りましたが、1つだけが展示されています。


 坂を登り切った所に重要文化財である聖ヨハネ教会が有ります。

 

 1907年(明治40年)に京都の河原通にプロテスタントの日本聖公会の京都五條教会として建築されたものだそうです。1Fはレンガ造、2Fは木造で礼拝室です。2Fに上がってみました。

 

 なかなか美しいです。


 坂を少し降りて右に行くと天井の高い建物が有ります。学習院長官舎です。

 

 1909年(明治42年)に建築されたものだそうです。その時の学習院長は10代目で、陸軍大将の乃木希典氏だったそうです。


 次回は、1丁目にある重要文化財の西郷従道邸からお召列車までです。
 
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旅のお供 その158 高松市内のホテルで、「金陵マイルドグラス」に続き、「媛 栄照カップ」をいただきました。

2018-01-29 21:19:42 | Weblog

 2016年11月6日のことです。高松市内のホテルに入った私は、香川県の日本酒である「金陵マイルドグラス」に続き、愛媛県の日本酒である「媛 栄照カップ」をいただきました。トップと下の写真です。

 

 「媛 栄照カップ」を醸造しているのは、愛媛県四国中央市の梅錦山川㈱です。
 創業は1872年(明治5年)だそうです。山川由良太氏の個人創業でした。1954年(昭和29年)に山川酒造合資会社となり、1991年(平成3年)に今の梅錦山川㈱になったそうです。

 日本酒のほか、焼酎はもとより(粕取り焼酎も有ります)、梅錦ビールや「レモングラスの休日」というリキュールも醸造しています。
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愛知県郵便局訪問 NO.16&岐阜県郵便局訪問 NO.3 犬山市、小牧市、各務原市 長い距離を楽しく歩きました

2018-01-27 11:38:10 | Weblog

 1月15日(月)、愛知県と岐阜県の2県に跨る郵便局訪問をしました。戌年なので、2018年最初の訪問は犬山市からです(偶然、そうなっただけですが)。犬山市から小牧市に向かい、再び犬山市に戻り、木曽川を超えて各務原市まで歩いて、楽しく訪問しました。訪問したのは、次の17局です。

 楽田(犬山市)、小牧池之内(小牧市)、犬山池野簡易、犬山長者町簡易、犬山羽黒、犬山五郎丸、犬山日の出簡易、城東、犬山、犬山薬師、犬山新坂(以上、犬山市)、各務原南町、各務原鵜沼台、各務原緑苑、各務原東、各務原苧ヶ瀬、各務原駅前(以上、各務原市)

 この訪問で、前日に博物館明治村簡易郵便局は訪問していましたので、犬山市の郵便局は完訪となりました。
 トップの写真は、7728番目となった犬山薬師郵便局です。


 「イチジク(だと思います)は、木をこのように横に伸ばして栽培するんだ。」と気が付きました。

 

 高い木にしてしまえば、収穫がしずらくなりますので、当然です。


 どこの地方自治体も不法投棄には苦労しています。この辺りにもかなりの不法投棄が有りました。なので、小牧市と警察署の警告表示が有りました。

 


 「何の橋梁だ。」と思ったのが、下の写真です。通りすぎて分かりました。

 

 愛知用水の入鹿水路橋です。愛知用水は木曽川の水を工業、農業、水道水として知多半島に送っています。大きな河川が知多半島に無いことから建設されたそうです。アメリカ・エリック・フロア社からの技術者と日本の技術者で、112kmを1957年(昭和32年)の着工から、1961年(昭和36年)までの4年で完成させたそうです。


 「天然記念物 ヒトツバタゴ 自生地」と書かれた看板が建てられていました。「ヒトツバタゴって何だ?植物らしいけど。」と思いました。

 

 暫く歩いていくと分かりました。木です。

 

 ヒトツバタゴは、モクセイ科の落葉高木です。別名は「なんじゃもんじゃ」だそうです。15~20mの高さに成長するようです。先程の看板の地には7本が自生しているそうです。1923年(大正2年)に天然記念物に指定されています。


 タンポポが畑の畔に咲いていました。

 

 雪国(北海道札幌市)から来ると、感激です。1月に野に花が咲いている。


 犬山市の住宅街に入りました。こ「これは絶対、前は銭湯だろう。」と思ったのが、下の写真の建物です。

 

 私も子供の頃、銭湯に通いました。北海道札幌市では、冬には洗い髪が、バリバリに凍りつき、ストーブの前で溶かしたのも、懐かしい思い出です。


 国宝犬山城が木曽川沿いに見えてきました。

 

 川と山と城という素敵な風景です。
 木曽川は飛騨木曽国定公園になっています。

 

 犬山城の城山はトンネルです。掘られたままでしょうか。

 

 犬山橋を渡り、各務原市に向かいます。木曽川に犬山城と素敵な景色を味わえます。

 


 各務原市の鵜沼は中山道の宿だったことを知りました。

 

 鵜沼は中山道69次のうち、52番目の宿でした。市内には、町屋館という資料館も有ります。常夜燈が有りました。

 

 中山道の金山川(現在は暗渠化されている)の所に明治時代に建てられたそうです。

 苧ヶ瀬は「おがせ」と読みます。おがせ池が有りました。岐阜県新八景の1位です。

 

 おがせ池は、周囲2kmで、古くからのため池だそうです。竜神が住むという伝説があるそうです。


 最後に面白い交通安全の幟が有りました。

 

 「ハヤーギャネ そんなに走ったら オソギャーデ」と書かれています。岐阜弁で言うと、こうなるのでしょうね。
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八景島シーパラダイスに行き、アクアミュージアムを見ました。ウミガメがサメに顎を乗せて休んでいました

2018-01-26 19:10:01 | Weblog

 昨年の12月17日(日)の続きです。
 金沢八景を巡った後、時間が有ったので、歩いて八景島シーパラダイスにも行ってみました。お目当ては、アクアミュージアムです。

 

 全国の水族館も見てみたいと思っています。郵便局のように目的を持って、行っているわけではありませんが。


 外で、ペリカンの餌やり体験が行われていました。

 


 水槽の写真は、いつもうまく撮影できません。下の写真は、ペンギンが泳いでいるところです。

 

 アクアチューブの中を通ります。

 

 


 一番うまく撮影できたのは、トップの写真です。何とウミガメがサメに顎を乗せ、休んでいました。「サメは重くないのかな?よく嫌がらないものだな。」と思いました。
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横浜市金沢の野島では、旧伊藤博文金沢別邸に行ってみました。2009年(平成21年)に建築当時の姿に復元されたそうです。

2018-01-25 19:21:29 | Weblog

 昨年の12月17日(日)、横浜市金沢区の野島で、展望台に登った私は、降りてきて、旧伊藤博文金沢別邸に立ち寄りました。トップの写真です。

 1898年(明治31年)にこの地に建設されました。2009年(平成21年)に建築当時の姿に復元されたそうです。

 早速、別邸の中に入りました。


 畳に切り込みが有ります。「炉が切られているのかな。」と思ったのが、下の写真です。

 

 日本の家屋という感じです。皇族など、多くの方がこの別邸を訪れたようです。

 


 縁側の窓からは海が望めます。いい景色です。

 

 一部の戸が開いており、庭が眺められます。

 

 牡丹園が庭に有るそうです。冬なので、よくわかりません。
 庭から逆に家の中を見ると下の写真のようになります。

 


 伊藤博文は達筆だったようです。自筆の金屏風が有りました。

 

 1901年(明治34年)8月に伊藤博文が書いたものだそうです。別邸の管理者であった松本房治氏が賜ったものだそうです。


 邸内には、金沢八景の絵が解説されていました。

 
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横浜市金沢区の野島は元は本当に島でした。展望台が有るだけでなく、掩体壕、貝塚も有りました

2018-01-23 20:05:54 | Weblog

 昨年の12月17日でした。私は、横浜市の金沢八景を見ようと歩いていました。野島に近づいてきました。

 

 元々は野島という島だったようです。今は埋め立てられ、陸続きになっています。

 野島には、稲荷社が有ります。

 

 その横に階段が有り、展望台に行くことができるようです。しかし、ぐるっと回ってから展望台に行こうと考え、歩きました。

 


 野島掩体壕が有りました。

 

 夏島町に有った旧横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から守るために造られたそうです。1945年3月15日から6月13日までで、長さ約260m、幅約20m、高さ約7mのコンクリートに覆われた壕を造ったのだそうです。100機が収容できる予定でした。しかし、実際には使われず、終戦になったそうです。

 展望台に行く途中で、平潟湾が見えるところが有ります。トップの写真です。

 展望台は下のような建物です。

 

 展望台に上りました。八景島が見えます。

 

 こちらは、金沢シーサイドラインが走り、海の公園の方向です。

 

 そして、こちらは夏島町の日産自動車の工場と奥は、米国海軍横須賀基地のようです。

 


 展望台を降り、坂を下ろうとすると、野島貝塚の表示に目が止まりました。

 

 縄文時代の早期の土器が発見された貝塚だそうです。土器は野島式土器として形式が認められているそうです。貝塚は夏島にもあるそうです。かなり早い時期から、この辺りに日本人が住みついていたようです。
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旅のお供 その157 高松市内のホテルで「金陵マイルドグラス」をいただきました。「金陵」は3種類目です。

2018-01-22 21:32:38 | Weblog

 一昨年前になります。2016年11月6日、高松市内のホテルに入った私は、まずは、買ってきた「金陵マイルドグラス」をいただきました。料理に合う酒とのことです。

 「金陵」のカップ酒は、3回目の登場です。2010年3月14日のブログ「旅のお供 その6」で、「金陵ハンディカップL」を、2014年11月5日のブログ「旅のお供その93」で、「超辛口ハンディグラス」を紹介しています。それだけ、香川県ではメジャーな酒なのでしょう。

 「金陵」は香川県多度郡琴平町の西野金陵㈱が醸造しています。工場は昭和44年から多度津町にあります。
 徳島県小松島市の藍商だった7代目西野嘉右衛門が、阿波市土成町芝生で安永8年(1779年)に酒造りをしたのが最初だそうです。寛政元年(1789年)、8代目西野嘉右衛門が、琴平町で「鶴田屋」という酒造家の株を買収し、酒造りを始め、現在に至っているそうです。

 酒造庫3つのうち、金比羅さんの参道に面した第弐庫を歴史館や文化館のある「金陵の郷」というミュージアムに改装しているそうです。
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愛知県犬山市の博物館明治村には、旧宇治山田郵便局の建物が有ります。現役で、博物館明治村簡易郵便局となっています

2018-01-20 08:40:45 | Weblog

 1月14日(日)、私は愛知県犬山市の博物館明治村に行きました。目的のひとつが、博物館明治村簡易郵便局で葉書を買うことです。

 旧宇治山田郵便局の建物は4丁目に有ります。トップの写真です。

 建物には博物館明治村簡易郵便局の看板が掲げられています。

 

 建物は1909年(明治42年)に建造されたものだそうです。中央に円形ドーム、両脇にも小さなドームが有ります。

 中に入ると、円形のドームが中央に有り、美しいです。

 


 様々な郵便ポストが展示されていました。こちらは、明治初期の木製ポストです。

 

 お馴染みのコンクリート製の丸型ポストです。

 

 最近、見ることの少ない速達用の青いポストも有りました。私が見かけたのは、神戸市の中央市場の前だった記憶が有ります。2009年1月28日でした。

 


 書いた葉書はどこに出すのかをお聞きしました。外のポストは今でも使っていますので、そちらにお出しくださいとのことです。外のポストです。

 

 「あ、九州で見た黒いポストの元だ。」と気が付きました。2009年7月1日の鳥栖田代郵便局、2010年10月6日の小倉室町郵便局で見たものです。


 出した葉書には、特別な消印が押されていました。

 

 
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猫との出会い その132 2016年8月24日、山形市内で黒猫ちゃんと白猫ちゃんに会いました

2018-01-17 22:25:35 | Weblog

 だいぶ前になりましたが、一昨年前の2016年8月24日、山形市内の郵便局を訪問していた私は、塀の入口から顔を覗かせている黒猫ちゃんを見つけました。首輪をしているので、この門のあるお宅の猫ちゃんでしょう。

 

 少し近づきます。逃げる様子は有りません。

 

 回り込んで、アップを撮影しました。トップと下の写真です。

 


 郵便局訪問を続けていくうちに、今度は白猫ちゃんを見つけました。

 

 白猫ちゃんは、私が追いかけて行くとさらに逃げようとします。

 

 黒と白、碁石かオセロのような出会いでした。

 

 
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埼玉県郵便局訪問 NO.12 さいたま市北区・見沼区・岩槻区、上尾市、春日部市 東武野田線の北側を東に向かい、歩きました

2018-01-13 20:57:42 | Weblog

 12月20日(水)は12回目となる埼玉県の郵便局訪問でした。さいたま市北区の残っていた2局の後、北へ進み、上尾市に入り、東武野田線の北側を東に進み、さいたま市見沼区、さいたま市岩槻区、そして春日部市まで歩きました。訪問したのは、次の19局です。

 大宮吉野町、大宮奈良(以上、さいたま市北区)、上尾愛宕、原市、上尾原市団地内、上尾尾山台(以上、上尾市)、東大宮西口、東大宮駅前、大和田駅前、大宮堀崎、大宮風渡野、大宮卸町簡易、アーバンみらい東大宮内(以上、さいたま市見沼区)、岩槻西原、岩槻上野、慈恩寺(以上、さいたま市岩槻区)
、春日部栄町、春日部小渕、春日部仲町(以上、春日部市)

 トップの写真は、7700局目となった大宮奈良郵便局です。


 さいたま市は、2001年(平成13年)5月1日に、大宮市、浦和市、与野市が合併し、政令指定都市になりました。2005年(平成17年)には、岩槻市も編入しています。旧大宮市だったことを示す標示がありました。

 


 北に向かって歩き、上尾市に入りました。

 

 私は中山道を歩いていたことに気が付きました。

 

 中山道は江戸、日本橋と京都、三条大橋を結ぶ5街道のひとつです。69次と呼ばれ、宿場町が69あったそうです。上尾宿は、日本橋から数えて、5番目の宿場町でした。


 上尾市では、「上尾市循環バスぐるっとくん」を運行しています。9路線有ります。

 

 写真の「原市公民館前」は、原市瓦葺線という上尾駅西口と瓦葺ふれあい広場を結ぶ路線のバス停留所です。


 出荷まぢかの白菜でしょうか?頭で葉が縛られています。

 


 春日部市内を大落古利根川が流れます。

 

 大落古利根川は、久喜市と杉戸町の境の葛西橋から松伏町下赤岩付近で中川に合流するまでの26.7kmの河川です。葛西橋の上流では、葛西用水に繋がっているそうです。

 大落古利根川には、モニュメントの有る橋梁が架かっています。古利根公園橋です。

 

 モニュメントは麦わら帽子がコンセプトだそうです。夜にはライトアップされます。
 彫刻が見えています。船越保武氏による「茉莉花(まつりか)」とう作品だそうです。
 こちらは、千野茂氏の作品「フォーム」です。

 

 これらの作品は、「彫刻のあるまちづくり」で1990年(平成2年)から、1991年(平成3年)にかけて設置されたそうです。

 春日部駅に近づくと、銅鐸のような彫刻が有ります。

 

 「秋」という彫刻だそうです。

 かなりの距離を歩いたと思いますが、快調に歩くことができた郵便局訪問でした。

 
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